『Lob der Grundrechte』(Christian Felber, 2025) & 『Die Gemeinwohl-Ökonomie』(Christian Felber, 2018)



危機の時代における「基本権」への賛歌
本書『Lob der Grundrechte』は、2020年からのコロナ・パンデミックに端を発した社会的・政治的危機を背景として、「基本権」(Grundrechte)の役割・意義・本質を再考する一冊である。フェルバーは、パンデミック対応政策によって実際に生じた基本権の大幅な制限、それが社会・民主主義・人権・公共性に与えた影響を批判的かつ総合的に検証する。彼は、危機においてこそ基本権は人間の尊厳と社会の安定の「アンカー」となり、民主主義的価値の核心であり続けなければならないと強調する。
1. はじめに――「社会的世紀の出来事」としてのパンデミック
フェルバーは本書の冒頭で、コロナ・パンデミックが単なる公衆衛生上の問題ではなく、社会全体のシステム、民主主義、法、倫理、信頼、公共圏の在り方を根底から揺るがした「世紀の出来事」であったと指摘する。社会が未曾有の不安・恐怖・分断に巻き込まれる中で、各国政府は「代替案はない(alternativlos)」という論理でロックダウンや外出制限など前例のない社会的介入を断行した。
2. なぜ「基本権」なのか――民主主義の安定装置として
フェルバーは、「基本権」とは単なる法的条項や個人の自由権に留まらず、民主主義体制の「安定装置」「社会契約の心臓部」「人間の尊厳の現れ」であると述べる。現代社会は複雑で不安定だが、どのような危機的状況であっても「基本権」は国家権力の過剰な介入・専制から市民を守り、社会的結束・信頼・公共性を支える核心的な原則である。これらは単なる「良い時期」に限定されるものではなく、むしろ「危機」や「非常時」にこそ守られるべきだと説く。
3. 基本権の歴史と発展
本書は「基本権」の歴史的・理論的な発展にも目を向ける。古代から近現代の様々な人権宣言、憲法、国際人権条約の系譜を整理しながら、基本権が「人間の固有の尊厳」(Menschenwürde)に基づき、国家や権力から独立した普遍的価値であることを強調する。特に近代以降の社会契約論、欧州・ドイツ・オーストリアの憲法における基本権の位置づけ、国連や欧州人権条約、環境権・自然の権利への展開などを丁寧に概観する。
4. パンデミック時の「基本権」制限――法的・社会的・心理的影響
本書の中心は、2020〜22年のパンデミックに際して、ヨーロッパ(特にドイツ・オーストリア)で実施されたロックダウン、外出制限、学校・店舗閉鎖、イベント禁止、ワクチン義務化、移動制限、接触追跡、強制検査などの措置が、実際にどのようにして「基本権」を制限したかの分析である。
- どのような権利が制限されたか(健康権、移動の自由、集会・表現の自由、職業の自由、教育権、家族生活、経済活動など多岐にわたる)
- 「正当な制限」とはいえるのか(比例原則、必要性、合理性、期間限定性など憲法学的論点)
- 制限による「副作用」や「コスト」(孤立、精神的健康の悪化、格差・貧困の拡大、民主主義の信頼低下、社会的分断、教育機会の不平等、ジェンダーギャップ、暴力増加等)
この過程で、政治的意思決定の「恐怖政治化(Phobokratie)」や、メディア・専門家・行政による「オルタナティブ排除」的言説形成、科学的多元性の欠如、ファクトチェックの一元化、「正義」「連帯」「共通善(Gemeinwohl)」という言葉の独占的利用が、どれほどディスコース空間や市民社会を狭めたかを指摘する。
5. 「共通善」と基本権の関係
フェルバーは、個人の権利と社会全体の「共通善」とがしばしば対立的に捉えられがちな現代的状況を再検討する。彼は、「共通善(Gemeinwohl)」は多数派の「同調圧力」や国家的強制の根拠として濫用されるべきではなく、むしろ**「基本権」を保障することでこそ実現される価値**であると論じる。つまり、「共通善」の名のもとに権利を制限するのではなく、基本権の尊重と社会的包摂・信頼・連帯を統合的に追求する新しい枠組みを提案する。
6. 危機対応のディスコース・倫理と科学観の再構築
コロナ禍における「科学の一元化」「対立的二分法(正しい/間違い、陰謀論/専門家)」の弊害を指摘し、より多元的・開かれたディスコース・エシックスの必要性を訴える。フェルバーは「科学信仰(Wissenschaftsglaube)」から「科学的コンピタンス」への転換、利害関係・社会的多様性の開示、市民参加型の討議空間(Krisenrat、Bürger*innenbeteiligung)の設計を主張する。
7. 今後への提言――強固な基本権と共生社会のために
パンデミックだけでなく、今後も生じるであろう様々な「ポリクライシス」(複合危機)の時代において、フェルバーは以下のような改革を提唱する。
- 基本権の「非制限領域」の拡大・強化(とくに人間の尊厳、表現の自由、移動の自由、教育権などの絶対的保障)
- 政治的「緊急権」「例外状態」の厳格な制限と立法府の権限強化
- 社会的包摂、弱者支援、格差是正、ジェンダー平等の制度化
- 公共圏・ディスコース空間の多元性、開かれた討論文化、分断防止策の強化
- 科学・メディアの倫理規範刷新と透明性
- 持続可能な社会福祉、基礎的サービスの公共性拡大
- 危機時にこそ「基本権」「共通善」「社会的信頼」の同時追求
これらは、従来の「新自由主義的な自己責任論」「国家主義的同調圧力」でもなく、多元的・開かれた社会的包摂と信頼の上に立った「進化する民主主義社会像」のビジョンである。
「共通善」を最上位価値とする経済社会モデル
本書『Die Gemeinwohl-Ökonomie』は、現代資本主義の諸問題――金融危機、気候危機、格差拡大、倫理の空洞化、民主主義の形骸化――に対し、**「共通善(Gemeinwohl)」**を社会・経済・法の最上位目標に据え直す新しい経済モデルの理論と実践を提案する、ヨーロッパ発の社会運動の中心的テキストである。フェルバーは、「競争」と「利益最大化」だけを唯一の行動原理とする市場経済(特に新自由主義的資本主義)は、本来社会が希求する倫理・公正・持続可能性・人間的価値と根本的に乖離していると厳しく批判する。
1. 現代資本主義の診断と危機意識
本書はまず、2008年以降の金融危機や気候変動、世界的な格差拡大、民主主義の空洞化、社会的孤立の進行などを「全体的なシステム危機」と捉える。その根底には、現行の市場経済が**「競争」「自己利益の追求」「貨幣的価値の最大化」を唯一絶対の指標**としたことによる、倫理的・社会的・生態的なバランスの崩壊があると指摘する。特に、経済学自体が「本来は手段であるべき金銭的利益」を「目的化」し、人間・社会・自然との関係性を断ち切った「クレマティスティケ(chrematistike)」的な倒錯状態に陥っていると批判する(アリストテレスの用語を引用)。
2. 「共通善経済」の基本原理
フェルバーの提唱する「Gemeinwohl-Ökonomie」(共通善経済)は、「私的利益」ではなく「最大多数の最大幸福」=共通善を経済・社会・法の頂点に据え、協力・連帯・公正・持続可能性・民主性・人間の尊厳など普遍的倫理価値を「実践的指標」として内面化することを主眼とする。
- 協力と連帯: 企業や個人が競争するのではなく、互いに協力し合い、社会全体の利益を最大化するように行動する。
- 共通善バランスシート: 企業や自治体は「共通善指標」に基づき活動の社会的・生態的・倫理的影響を可視化・評価し、公的支援・税制・調達で優遇される(従来の「利益最大化」指標からの転換)。
- 民主的経済構造: 経済の運営・ルール作りを一部エリートや資本家に委ねるのではなく、全市民・利害関係者の参加によって設計・決定する(「経済民主主義」)。
3. 「お金」「所有」「インセンティブ」の再設計
本書は、「お金」の役割そのものを「社会の共通善に奉仕する道具」として再設計する必要性を強調する。たとえば、
- お金=公共財: 利子・投機・累積的格差を抑制し、地域通貨・コミュニティバンクなどを活用してお金の社会的循環を高める。
- 所有の多元化: 巨大資本の集中独占ではなく、協同組合・公益法人・従業員所有・市民基金など多様な所有形態を重視。
- 動機付けの転換: 利益だけでなく、「意味・共感・参加・社会的価値」こそが持続的な動機となる仕組み。
4. 民主主義の深化・拡張
「共通善経済」は経済領域だけでなく、政治・社会・教育・地域にも拡張する。具体的には、市民が企業・自治体・教育機関の経営・ガバナンス・政策決定に直接参加できるメカニズム(経済コンヴェント、自治体レベルの直接民主主義、教育現場での共通善プログラム等)を提案。これにより、「上からの規制」でも「市場の無政府性」でもない、自律的・参加型・包摂的な社会運営が可能となる。
5. 実践例と運動としての広がり
本書は理論だけでなく、既にヨーロッパ・南米・アフリカ・アジアに拡大している**「共通善経済」運動の実践例**(企業・自治体・教育機関・市民団体・国際ネットワーク)を多数紹介する。2017年時点で2000社以上の企業・NPO・教育機関、30以上の自治体、数多くの学校・大学が公式に参加。運動はボトムアップ的に、倫理・価値観・制度設計・実践プログラムの全てのレベルで「共通善」を追求している。
6. 社会的・倫理的意義と現代的課題
フェルバーは、「共通善経済」は「社会主義」「計画経済」とは異なり、自由・イノベーション・多様性・自律性を前提としつつ、単なる個人主義・利益至上主義を超えた新しい倫理的経済社会モデルであると定義する。資本主義vs社会主義という二元論ではなく、全く新しい「エートス」として、「持続可能性・包摂・意味・関係性・公正」を中心に据える。
また、FAQや批判への回答、民主的実装の具体的ロードマップ、制度化のための政策提言なども提示し、「社会的合意形成による移行シナリオ」「価値転換の教育」「法制度改革の段階論」も重視している。
両書の違いと補完性――主題・方法・時代性をめぐって
1. 序章:現代社会の二つの危機とフェルバーの応答
21世紀の初頭、人類社会は二つの根本的な危機に直面している。一つは、気候変動や生態系の破壊、グローバルな格差拡大、金融資本主義の暴走、民主主義の空洞化といった「システム的危機」であり、もう一つは、2020年から始まった新型コロナウイルス・パンデミックのような、社会の根本的な規範・倫理・法秩序を揺るがす「突発的危機」である。フェルバーの二つの著作は、この二重の危機に対して、それぞれ異なる角度から向き合い、互いに補完し合う理論的・実践的アプローチを示している。
『Die Gemeinwohl-Ökonomie』(2018)は、グローバル資本主義体制に内在する「共通善の空洞化」「倫理・社会・生態系の持続不可能性」を問題視し、「競争」や「自己利益最大化」を至上原理とする現代経済の枠組み自体を根本から問い直す。ここでフェルバーが志向するのは、経済活動の目的を「利益」や「成長」ではなく、「人間的尊厳」「社会的公正」「協力と連帯」「持続可能性」などの倫理的価値へと再転換し、個人と社会・自然との新たな調和の構造を構築することだ。
一方、『Lob der Grundrechte』(2025)は、コロナ危機下で各国政府が前例のない規模で「基本権」の制限を断行した現実を出発点とし、緊急時における権利・自由・公共性・社会的信頼の本質的意義を再検証する。パンデミックという“災厄”が、現代社会に内在していた「権利の脆弱性」「社会的分断」「民主主義の機能不全」を露わにしたとき、果たして人権や民主主義、そして共通善の原理はどう守られるべきか――これがフェルバーの問いであり、ここには『Gemeinwohl-Ökonomie』の理論的基盤が危機の現実とどう交錯するのかという試金石が示される。
この二書を貫くフェルバーの思想的な射程は、「制度や法、倫理や経済モデルは“安定期”だけでなく、まさに“危機の時”にこそ、その根本的価値が問われる」という認識に集約される。両書は、互いに異なるアプローチでありながら、現代社会の最深部に通底する規範・制度・価値のあり方を問い直す点で、理論的にも実践的にも強く補完し合う。
2. 主題の差異と相補性――「経済から社会へ」「危機から普遍へ」
まず主題面の違いを明らかにするためには、それぞれの著作が焦点を当てている「危機」と「普遍的価値」の違いに目を向ける必要がある。
『Die Gemeinwohl-Ökonomie』の主題は、現代の市場経済が陥っている「構造的欠陥」――すなわち、経済成長・利益・競争原理の肥大化が、社会的公正や環境倫理、共感や連帯といった価値を周縁化し、「人間性」や「共通善」を毀損する状況――の克服にある。そのため本書は、「経済」という領域の意味を拡張し直し、「人間の尊厳」「倫理的合理性」「社会的包摂」をあくまで最上位原理として再構築することを志向する。経済が社会の手段であるべきなのに、いつしか目的化してしまったこと――つまり“目的と手段の転倒”――を最大の病理として位置づけ、その反転を図ろうとする。
このような主題設定は、経済学だけでなく社会哲学、倫理学、政治学、そして現代の実践的社会運動論の成果をも包括し、「経済」をめぐるパラダイム転換の理論的基盤と、ボトムアップ的な社会変革の具体的実践の両方を重視している。ここで強調される「共通善」とは、個人の幸福・自由・持続可能性が相互に調和し、社会全体でシェアされる価値である。
これに対して『Lob der Grundrechte』は、突発的な危機(パンデミック)という具体的・時代的な事件に照準を合わせつつも、「危機下でこそ可視化される普遍的価値」=基本権(人権)の本質的意味、社会契約と民主主義のコアとしての機能を問い直す。「パンデミック対策」の名のもとで、多くの基本的人権(移動・集会・表現・教育・職業・健康・私的生活等)が短期間に制限され、民主主義的な討議や多元的科学の空間が狭められた事実――その正当性・必要性・比例性を、法学・倫理学・社会学の観点から徹底的に検証する。ここでの主題は、どれほど“緊急事態”であっても、「人間の尊厳」「基本権」「社会的包摂」が“最初に切り捨てられる”ことのない社会構造・制度的保障をいかに維持するか、という問いである。
したがって、両書の主題は「社会的正義と倫理価値を経済システムの核心へと組み込む提案」と「危機的状況下での普遍的人権・社会契約の再検証」という、一見異なる位相を持つ。しかし、共通善・人間の尊厳・社会的包摂という理念を社会全体の規範として再確立する、という点で極めて相補的である。『Gemeinwohl-Ökonomie』が“平時”の構造転換を志向するなら、『Lob der Grundrechte』は“有事”におけるその基盤の持続可能性を問うのである。
3. 方法論の対比――理論と現実、抽象と具体の架橋
次に両書の「方法論」の違いと補完性について論じたい。
『Die Gemeinwohl-Ökonomie』は、制度設計論・規範倫理学・社会運動論のアプローチを多重的に用いる。すなわち、「現行の経済制度」が抱える病理を抽象的かつ体系的に批判・分析しつつ、倫理学や社会哲学の普遍的原理(アリストテレスの“オイコノミア”と“クレマティスティケ”の区別や、功利主義・ケア倫理・ポスト成長論など)を参照しながら、「共通善経済」の具体的デザイン(共通善バランスシート、経済的インセンティブ構造の再設計、所有の分散化、民主的経済ガバナンス等)を提示する。さらに、既に実践されている企業・自治体・NPO・市民活動の事例を膨大に収集し、理論の実践性・適応性を強調している。
この方法論は、単なる理念論や抽象的批判に終わらず、現場レベルでの実装例や段階的移行シナリオ、社会運動論のダイナミズムにも開かれている。政策提言から現場実践まで、多層的に理論と現実を架橋する点に特徴がある。
一方、『Lob der Grundrechte』は、危機時の現実を詳細に分析しながら、法哲学・憲法学・倫理学・社会学の観点から「基本権の意味」と「危機下での権利制限の正当性」を掘り下げる。ここで特徴的なのは、「憲法や国際人権規範の原理的分析」と、「パンデミック期の政策・実務・社会的影響に関する実証的考察」が綿密に組み合わされている点である。
実際、フェルバーはドイツやオーストリアのコロナ対策政策を対象に、具体的な法的制限、判例、制度運用、市民社会の反応、メディアや専門家の役割、科学的討議空間の構造的変化まで多角的に分析する。比例原則や必要性原則といった憲法学の重要概念、倫理的ディスコース理論(ハーバーマスなど)、市民参加型民主主義、リスクコミュニケーション論など、理論と現実を精緻に往還させている。
このように、両書は「理論の普遍性と現場実践の具体性」「制度デザインと制度運用」「倫理的原理と社会的プロセス」といった異なる方法論的視点を持つが、抽象と具体、平時と有事、設計と運用を架橋するための知的リソースとして相互補完的である。
4. 時代性――「システム危機」から「複合危機」へ
両書の時代性を論じるとき、グローバル資本主義の歴史的変質と、それに対する「市民社会の応答」のパラダイムシフトに注目する必要がある。
『Die Gemeinwohl-Ökonomie』が執筆・刊行された2010年代後半は、2008年のリーマンショックに端を発する「グローバル金融危機」、気候変動の危機感の高まり、欧州では格差・移民・極右化・EUのガバナンス危機などが渦巻く時代であった。「資本主義vs社会主義」という従来の二分法はすでに説得力を失い、新自由主義的政策への反発と“倫理的資本主義”や“循環経済”“地域主導型経済”への関心が一気に高まった。
この文脈で、フェルバーの「共通善経済」論は、「資本主義そのものの根本転換」を求める社会運動や自治体・企業実践の理論的支柱として支持を拡げた。時代が要請したのは、イデオロギー対立の延長ではなく、具体的で実現可能な、かつ倫理的に普遍性をもつ経済社会モデルだったのである。
一方、『Lob der Grundrechte』が執筆された2020年代前半は、コロナ・パンデミックがもたらした“全地球的な緊急事態”の時代である。ここで明らかになったのは、経済・社会・政治・倫理・法が複雑に絡み合った“ポリクライシス”=複合危機であり、経済危機や生態系危機のみならず、市民的自由や人権、民主主義の根幹までが「一時停止」されるリスクだった。
パンデミック下で、従来「安定期の常識」と思われていた人権・民主主義の価値が、あまりに容易に、かつ広範に制限された現実に、多くの市民が衝撃を受けた。そこでフェルバーが問うのは、「危機時の“共通善”の名のもとで、個人の尊厳や権利が本当に切り捨てられてよいのか?」「民主主義社会は、例外状態や恐怖政治をどこまで許容できるのか?」という問いである。これは、「平時の制度設計論」ではなく、「危機下の制度運用・権利保障・倫理的討議空間のレジリエンス」を問う、まさに現代的な課題である。
このように、両書は「経済システムの構造改革を求める時代」と「危機的現実において制度の持続可能性を問う時代」という異なる時代状況に呼応し、補完的に現代社会の規範と実践の再設計を志向しているのである。
5. 「共通善」と個人の権利――二つの均衡モデル
両書の比較で最も本質的な論点は、「共通善(Gemeinwohl)」と「個人の権利(Grundrechte)」の関係性をどう構想するか、である。
『Die Gemeinwohl-Ökonomie』は、資本主義の“自己利益最大化”モデルが結果として社会的・倫理的・生態的共通善を破壊する現実に対し、「共通善」を最上位規範とする新しい経済社会モデルを設計する。ここでは、個人の権利・自由も、社会全体の幸福・公正・持続可能性も、共通善という枠組みの中で相互に保障されるべきものとされている。共通善は「個人の自由や幸福」を犠牲にするものではなく、それを“社会的包摂”や“分配正義”の中で包み込み、全体の福祉へと昇華させる。
これに対し、『Lob der Grundrechte』は、パンデミック下で「共通善」「連帯」「健康保護」の名のもとに、個人の基本権が前例のない形で制限された現実に鋭く異議を唱える。フェルバーは、「共通善の追求は、あくまで基本権の普遍的・絶対的な保障を前提とすべきだ」と主張し、“共通善”が権力や多数派の同調圧力の道具に堕することの危険性を繰り返し警告する。「個人の尊厳・権利が脅かされたとき、社会的結束も信頼も維持できない」という現代社会の教訓を明確に打ち出している。
この両書の姿勢は、一見矛盾しているように見えるが、実は「両者を均衡させるための理論的・制度的設計」こそが、現代社会の持続可能な進化の条件であることを示唆している。共通善の名のもとに個人権が犠牲になるべきではなく、個人権の絶対化が社会的連帯や共生を損なうべきでもない。その双方を統合的に保障する制度設計・倫理規範・討議空間の構築こそが、両書の交点であり補完性である。
6. 「設計」と「運用」――補完的知と社会実践
最後に両書の補完性についてまとめておきたい。
『Die Gemeinwohl-Ökonomie』は、「制度設計」「理念モデル」「段階的移行」「新しい経済倫理」を志向する“未来設計の書”であり、企業・自治体・市民運動の具体的実践へのガイドブックとしても機能する。そこでは、共通善を志向する企業・自治体・市民社会の“新しい型”がすでに世界中に広がりつつあることが示され、「経済活動の新しい意味づけ」「民主的参加型経済の設計」「社会的包摂と価値転換の実践」が説かれる。
一方、『Lob der Grundrechte』は、危機時の社会において、「制度がどのように現実に運用されたか」「何が権利の“弱点”となったのか」「社会的分断や不信の連鎖をどう乗り越えるか」を、事例分析・経験論・制度批判として徹底的に掘り下げる。その上で、「危機下でも揺るがない権利基盤」「制度運用の透明性・説明責任」「市民社会の討議空間」「倫理的多元性の保障」など、“現実に耐えるための設計変更”を提案する。
つまり、両書は「理論・制度設計」と「実践・制度運用」、あるいは「平時と有事」「理念と経験」「未来設計と現実検証」という異なる位相を持ちつつ、それぞれが他方を補い合う知的・実践的資源を提供している。現代社会の課題は、まさにこの「設計と運用」の循環的なアップデートと、理論と現実の動的な調整作業にこそあるといえる。
結語:現代社会の持続可能な進化に向けて
両書を貫くのは、「倫理的価値」「社会的包摂」「個人の尊厳と権利」「共通善」という理念の再定位である。『Die Gemeinwohl-Ökonomie』は制度の設計原理を、経済から社会全体に拡張し直す“基礎理論”として位置づけられ、『Lob der Grundrechte』は制度運用・社会的討議の実践的ガバナンスをめぐる“応用理論”として読まれる。どちらか一方では不十分であり、両者を行き来しながら不断に再検証し続けること――すなわち「共通善」と「基本権」の創造的な張り合いと統合――こそが、危機と変動の時代を生きる私たちにとって決定的な知的・実践的リソースとなるだろう。
この二冊を手がかりに、現代社会の危機と希望を見つめ直すことは、単なる学問的営為を超え、実際に社会制度のアップデートや民主主義の再生、倫理的経済の設計、そして有事における“揺るぎない人間の尊厳”の確立へと通じていく。両書の交差点には、時代を超えた普遍的な“人間のための社会設計”の課題が明確に浮かび上がっているのである。
Author Profile

- 合同会社喜代七 / 喜代七屋 Kiyoshichi LLC / Kiyoshichiya freelance
-
Agriculture, Forestry, Fisheries Management Consultant & Fieldwork Coodinator.
We are working to live our LIFE that can be enjoyed for seven generations. Utilizing my know-how and experience, I am working as a professional consultant mainly in Japan and Germany. My hobbies are Mountaineering, Violin, Academic Learning & Fieldwork.



