『Interwar Salzburg: Austrian Culture Beyond Vienna』(Robert Dassanowsky & Katherine Arens, 2024)

『Interwar Salzburg: Austrian Culture Beyond Vienna』は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、つまりいわゆる「戦間期」におけるザルツブルクという都市とその周辺地域の多層的な文化、社会、経済、そして政治の諸相を、多角的かつ批判的に検討する論集である。本書は従来のオーストリア史や文化史に見られる「ウィーン中心主義」へのアンチテーゼを基調としており、ザルツブルクを単なる地方都市や音楽祭の舞台、モーツァルトの故郷としてだけでなく、第一次共和国の成立とともに生じた新しいオーストリアの“もうひとつの中心”、さらにはヨーロッパの文化的・社会的ネットワークの結節点として再定義しようとする意欲的な試みである。

まず、序章ではなぜ今、戦間期のザルツブルクを取り上げるのかという問題提起がなされる。ザルツブルクはオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊後、ウィーンを中心とする新しい国民国家の中で自らの役割を模索することになるが、同時にそれは地域社会や市民が自発的に新たな文化的実験に取り組む舞台となった。人口動態をみても、ウィーンが戦争や内乱、帝国解体にともなう混乱と人口流出に悩まされたのに対し、ザルツブルクは難民や失業者、知識人、芸術家らを受け入れることでむしろ人口が増加し、社会的には安定した基盤を維持した。地理的にも、ウィーンと比較したとき、ザルツブルクは西への扉としてミュンヘン、スイス、イタリアとのネットワークをもった都市であり、20世紀の変化するヨーロッパにおいて新しい交通・経済・文化の軸となった。

本書が重視するのは、「ウィーンとザルツブルクの違い」が単なる規模や伝統文化の差異にとどまらない点である。ザルツブルクは19世紀まで独自の都市国家・大司教領として長い歴史をもち、塩の取引を基盤とした豊かな都市社会、独自の中間層、そしてモーツァルトや多くの芸術家を生んだ都市であった。20世紀前半、この歴史的遺産を下敷きに、ザルツブルクは自らの都市アイデンティティを再構築しようとする。特に注目すべきはザルツブルク音楽祭やモーツァルテウム(音楽院)を核とした芸術・音楽・演劇の文化活動である。これらはウィーンのような宮廷や大資本のパトロネージュではなく、地方の中産階級や国際的な芸術家のネットワーク、市民社会の自発性に支えられていた。その意味でザルツブルクは、既存の権力構造やヒエラルキーとは異なる「もう一つの近代」「もう一つのオーストリア」を体現していたと言える。

また本書は、戦間期のザルツブルクが芸術や音楽、文学のみならず、映画やスポーツ、観光といった広義の文化実践のなかで、いかに新しい社会実験の舞台となったかを章ごとに描いている。たとえば、ヘンドルフ村に形成された文学サークル(ヘンドルフ・サークル)は、ザルツブルクが知識人や芸術家の「避難所」となった一例であり、戦争と革命で傷ついた人々が新しいヨーロッパ文化の可能性を模索する拠点となった。また、映画産業においてもザルツブルクはウィーンやハリウッドと連携しながら独自のスタジオや映画制作に挑戦し、「反ナチ的」「国際主義的」な芸術運動の一環として一時的な盛り上がりを見せた。しかしこれらの多くは1930年代後半になるとオーストリア・ファシズムやナチズムの台頭、経済的な困難によって瓦解・変質を余儀なくされることになる。

スポーツや観光の分野もまた、ザルツブルクの地域アイデンティティや社会的ネットワークの形成と密接に結びついていた。スポーツクラブの台頭や大衆的祭典、またヨーロッパ各地から観光客を迎える「音楽と自然の都」としてのザルツブルク像の再構築は、社会階層やナショナル・アイデンティティの再編成、さらには外部からの新しい価値観や人材の流入といった現象をもたらした。こうした地域文化の変容は、戦間期オーストリアの近代化とアイデンティティ形成を考えるうえで、ウィーン中心史観とは異なる独自の文脈を浮かび上がらせる。

一方で本書は、ザルツブルクが「周縁」や「田舎」としてのみ描かれることへの批判も含んでいる。従来の歴史記述や国民国家史観、英語圏の歴史学界でしばしば見られる「勝者による歴史叙述」(History Written by the Winners)は、帝国崩壊後の多様なオーストリア文化、特に地方都市や地域ネットワークの持つ創造的ダイナミズムを見逃してきた。本書の寄稿者たちは、ザルツブルクがヨーロッパの「小さな文化的中心」として、政治・経済・社会のネットワークにおいて果たした役割や、文化的実験の現場であったことを再評価し、「もうひとつの近代」の歴史像を提示する。たとえば、ハンガリーやドイツ南部との国際的な文化・観光交流、ユダヤ人コミュニティの活動やアイデンティティの変容、ナチズム・ファシズムの影響下での芸術・学術活動の存続と変容など、国家レベルでは見落とされがちな現象に光を当てている。

加えて本書は、ザルツブルクにおける多層的な社会集団―市民、中産階級、亡命者、芸術家、学生、スポーツ選手、ユダヤ人コミュニティ、観光業者、行政官僚など―が、いかにして共存・対立しつつ独自の社会空間を形成したかを論じている。こうした多様性こそが、ザルツブルクの文化的豊かさと複雑性、そして脆弱性の源であったとも言える。特にナチズムの台頭以降、文化的実験や寛容性、国際性が抑圧され、多くのアーティストや知識人が国外に亡命し、またユダヤ人コミュニティが大きな被害を受けたことも描かれている。しかし同時に、ザルツブルクが戦後のヨーロッパ文化復興や国際芸術運動の“種”となったことも強調される。

このように『Interwar Salzburg: Austrian Culture Beyond Vienna』は、地域史・文化史・社会史・ネットワーク論・記憶論など多様な学問的アプローチを通して、20世紀前半のザルツブルクを多面的に描き出している。戦間期という激動の時代、帝国崩壊と国民国家成立、経済危機、ファシズム・ナチズムの拡大、国際文化ネットワークの変容、地域社会のアイデンティティ模索という文脈のなかで、ザルツブルクは「失われた帝国の周縁」ではなく「もう一つの中心」「実験の場」「避難所」でありえた。そのダイナミズムと限界、そして現代への影響を検証することで、本書はウィーン中心史観では見えてこないオーストリアの可能性、多元的近代の姿を浮かび上がらせることに成功している。

そして最後に、編者たちはザルツブルクをめぐる多様なネットワークや記憶、アイデンティティ形成の問題を考察しつつ、国家や都市の境界線だけでは語りきれないヨーロッパの歴史・文化の豊かさを提示する。サブカルチャーやマイノリティ、国境を超えた交流、複数の価値観が交錯する場としてのザルツブルク像を通じて、本書は現代的な視点から20世紀ヨーロッパの歴史像に新たな光を当てている。


目次(英語・日本語対訳)

List of Figures
図表リスト

Acknowledgments
謝辞

Introduction
イントロダクション
(Katherine Arens, with Robert Dassanowsky)


I. DREAMING SALZBURG: HOPING FOR HOPE, GRASPING AT WHAT IT WAS AND MIGHT HAVE BEEN …

I. ザルツブルクの夢想――希望を求め、過去と未来に手を伸ばす

  1. Fantasy as Parody?: Hermann Bahr’s Salzburg Dialogue
     パロディとしての幻想?ヘルマン・バーアのザルツブルク対話
     (Vincent Kling)
  2. The Capital of Europe (1900): “A Fantasy in Salzburg”
     ヨーロッパの首都(1900年):ザルツブルクの幻想
     (Hermann Bahr)
  3. Salzburg’s Age of Aquarius: Der Wassermann as an Austrian Sonderweg in the European Arts
     ザルツブルクの水瓶座時代――ヨーロッパ芸術におけるオーストリア的特異性としての『ワッサーマン』
     (Katherine Arens)
  4. Notes on Salzburg and Cinema 1911–1938
     ザルツブルクと映画――1911年から1938年までの記録
     (Robert Dassanowsky)

II. CHOOSING SALZBURG: COSMOPOLITAN REFUGE AND THE SEARCH FOR A THIRD WAY

II. ザルツブルクの選択――コスモポリタンな避難所と第三の道の模索

  1. The “World of Doomed Enchantment”: Carl Zuckmayer and the “Henndorf Circle”
     「滅びゆく魅惑の世界」――カール・ツックマイヤーとヘンドルフ・サークル
     (Christopher Dietz)

III. BEING SALZBURG: CULTURES FOUND AND LOST

III. ザルツブルクであること――発見され失われた文化たち

  1. Sport Cultures in Salzburg Between State and Dictatorship
     国家と独裁のはざまでのザルツブルクのスポーツ文化
     (Andreas Praher)
  2. Everyman and the New Man: Festival Culture in Interwar Austria
     エブリマンと新しい人間――戦間期オーストリアの祝祭文化
     (Alys X. George)
  3. In the Shadow of the Salzburg Festival?: The Mozarteum Foundation and Conservatory as Protagonists in Salzburg Music Culture Between the Wars
     ザルツブルク音楽祭の影にて?――戦間期ザルツブルク音楽文化におけるモーツァルテウム財団と音楽院の役割
     (Julia Hinterberger)
  4. Shadow Sides of Modernism: Poldi Wojtek’s Designs for the Salzburg Festival and Austria’s Conservative Modernity
     モダニズムの影の側面――ザルツブルク音楽祭のためのポルディ・ヴォイテクのデザインとオーストリア保守的近代
     (Julia Secklehner)

IV. EYES ON SALZBURG: SALZBURG AS OTHER

IV. 視線の先のザルツブルク――もう一つの他者として

  1. Jewish Identities and Antisemitism in Salzburg after 1918
     1918年以降のザルツブルクにおけるユダヤ人アイデンティティと反ユダヤ主義
     (Helga Embacher)
  2. Hungarian Salzburgs: Salzburg and the Salzburg Idea as Inspiration for Mozart Concerts, Urban Tourism Development, and Festivals in Interwar Hungary
     ハンガリーのザルツブルクたち――モーツァルト・コンサート、都市観光開発、祝祭におけるインスピレーションとしてのザルツブルク・イデア
     (Alexander Vari)

Notes on Contributors
執筆者紹介

Index
索引

In Memory of Robert Dassanowsky
ロバート・ダッサノウスキー追悼


パート1(I. DREAMING SALZBURG: HOPING FOR HOPE, GRASPING AT WHAT IT WAS AND MIGHT HAVE BEEN)は、20世紀初頭から戦間期にかけてのザルツブルクが、どのようにして自身の歴史的イメージと文化的ポテンシャルを問い直し、夢想し、再構築しようとしたかを多層的に描き出している。このパートの各章は、ウィーンとザルツブルクの関係、都市イメージの変容、芸術運動や映画産業といった文化的試みを通じて、ザルツブルクが抱いた希望と幻滅、革新と伝統の交錯するダイナミズムを掘り下げている。以下、その思想的・文化的展開を総合的に要約する。

まず冒頭で強調されるのは、ザルツブルクという都市が外部からどのように「夢見られ」「想像され」てきたかという点である。特にヘルマン・バーア(Hermann Bahr)の視点を通して、ザルツブルクはウィーン的世界観に対する「田舎」や「周縁」の象徴として描かれがちであった。バーアは、その著作『ザルツブルクの幻想』(1900)や対話形式のテクストで、ウィーン人の目に映るザルツブルク像を徹底的にパロディ化する。彼にとってザルツブルクは「ヨーロッパの首都」としての可能性もあり得るが、それは同時に自己欺瞞や、過去への過剰なノスタルジー、観光消費の対象化といった側面も孕んでいた。バーアの文学的な手法は、単なる風刺にとどまらず、都市のアイデンティティが外部からの期待や視線によっていかに構築され、時に歪められていくかという問題意識を露わにしている。ここで描かれる「夢見られたザルツブルク」は、既成のイメージと現実のあいだで揺れ動く、二重性を持った都市として提示される。

こうしたイメージの自己言及性は、ザルツブルクの20世紀初頭における文化運動「ヴァッサーマン(Der Wassermann)」の分析でも顕著である。Katherine Arensによる論考は、ザルツブルクが単なる音楽の都、観光都市としてではなく、オーストリア独自の「特異性(Sonderweg)」を体現し得る芸術実験の場として位置づけられた経緯を探る。ヴァッサーマン運動は、短期間ながらヨーロッパ各地の芸術家・知識人を惹きつけ、保守的なモダニズム、地域主義、コスモポリタニズムなど多様な要素が錯綜した。ここでのザルツブルクは、過去の文化遺産を継承しつつも、新しい芸術表現や社会変革の可能性を秘めた「未来志向の実験都市」として夢想されていたのである。だがその理想は、政治的・経済的現実によってほどなく制約されることになる。

さらに、本パートでは映画というメディアがザルツブルクの都市イメージに与えた影響も論じられる。Robert Dassanowskyの章では、1910年代から1930年代にかけて、ザルツブルクが映画の舞台・撮影地・制作拠点として一定の存在感を示していた事実が明らかにされる。映画はザルツブルクの美的・観光的魅力を広くヨーロッパやアメリカに伝える一方で、都市そのもののアイデンティティを再帰的に形成していった。特にサイレント映画からトーキー初期に至るまで、ザルツブルクの歴史的建築や風景は、ロマン主義的・ノスタルジックなイメージとともに消費された。それはまた、国際的な映画人脈や制作ネットワークの交点としてのザルツブルクの潜在力を象徴していた。しかし同時に、映画産業の興隆は都市経済や文化政策の変動に翻弄されることとなり、1930年代以降のファシズム台頭とナチズムの影響下でその発展は停滞する。

パート1を通底するのは、ザルツブルクが「夢」や「幻想」「期待」の投影先であると同時に、現実の社会的・経済的・政治的制約によってしばしばその夢が挫折し、修正されていくという構造である。外部の観光客、知識人、芸術家の眼差しは、ザルツブルクに絶えず「第二のウィーン」「ヨーロッパの理想都市」「伝統と革新の交差点」といった役割を投げかけた。しかし、実際のザルツブルクはそうした理想と現実、内部と外部の期待のギャップに悩みつつも、独自の文化的生態系を築いていった。その象徴が、ヴァッサーマン運動や映画産業に見られるような多元的な実験精神、外部とのネットワーク構築、そして都市イメージの自己変革であった。

さらに言えば、本パートはザルツブルクの20世紀的経験が、ウィーンやドイツ、さらにはヨーロッパ全体の動向とどのように連動し、あるいは距離を取りながら展開したかという問題も提起している。ウィーンから見た「田舎」としてのザルツブルク、ヨーロッパ的コスモポリタニズムの一断面としてのザルツブルク、観光資源や歴史遺産としてのザルツブルク、これら多層的な都市像が交錯し、時に矛盾しながらも、戦間期を通じて独自の「文化的アイデンティティの夢想」を続けたのである。この意味でザルツブルクは、帝国崩壊後のオーストリア社会が直面した「周縁と中心」「伝統と近代」「地方と国際」「理想と現実」のダイナミズムそのものであった。


パート2(II. CHOOSING SALZBURG: COSMOPOLITAN REFUGE AND THE SEARCH FOR A THIRD WAY)は、戦間期ザルツブルクがいかにして「選ばれる場所」になり、またコスモポリタンな避難所やオルタナティブな文化的実験地として独自の役割を果たしたかを深く掘り下げる。ここでは、政治的・社会的動乱の時代に人々が「どこに住むか」「どこに集うか」「どこで自らの表現を追求するか」といった根本的な問いに直面したとき、ザルツブルクがどのような魅力と現実を提示したのかを具体的に検証する。

このパートの中心は、「ヘンドルフ・サークル(Henndorf Circle)」と呼ばれる文学者・芸術家集団の存在にある。カール・ツックマイヤー(Carl Zuckmayer)を中心に、ヘンドルフ村のヴィラに集った著名な作家、劇作家、俳優、知識人らは、当時のヨーロッパを覆う政治的抑圧、ファシズム、ナチズム、亡命、検閲、経済的困難といった現実から一定の距離をとり、ザルツブルク周辺の田園地帯で「創造的ユートピア」や「第三の道」を模索した。彼らの多くはドイツ語圏の文化エリートでありながら、ナショナル・アイデンティティに束縛されず、国際的な芸術ネットワークや多様な思想的実験を求めて集ったのである。

このサークルの特徴は、いわゆる「亡命文学」や「抵抗運動」とも一線を画し、単なる逃避や現実否認ではなく、激動のヨーロッパの中で自らの創造性と倫理をどのように持続させるかという切実な課題意識を持っていた点にある。ヘンドルフのヴィラでは、日々の会話や読書、執筆活動、演劇や音楽の即興、家庭的な交流が行われ、都市ウィーンやベルリンとは異なる「田園的知性」と「日常の中の創造」を体現しようとした。こうした空間は、アポリティカル(非政治的)な楽園ではなく、むしろ時代状況のなかでどのような人間的・芸術的選択肢があり得るのかを問う「実験場」として機能した。

また、ヘンドルフ・サークルには、当時のヨーロッパで高まりつつあった排外主義や反ユダヤ主義、戦争や独裁への抵抗、民主主義的価値観への思索といった、より深い社会的・政治的テーマが濃厚に影を落としていた。メンバーの多くは亡命や抑圧を経験し、現実の中で「第三の道」、すなわち極端なイデオロギーにも流されない人間的・普遍的な価値観に立脚する新しい社会モデルを模索した。この点で、ヘンドルフは戦間期ヨーロッパの知識人や芸術家たちが「コスモポリタンな避難所」としてザルツブルク近郊を選ぶ動機、そして「共同体」としての希望や限界を象徴している。

ヘンドルフ・サークルの活動は、芸術と日常、個と集団、理想と現実の交錯であった。ツックマイヤーや彼を取り巻く作家・俳優たちは、劇作や小説、詩、エッセイを通して「没落するヨーロッパ」と「新しい人間像」を描こうとした。彼らはザルツブルクという土地の伝統・自然・風土にインスパイアされつつ、時代の暴力性や社会的閉塞感に抗う文化的営為を追求した。その成果は、文学作品や舞台芸術だけでなく、戦後ヨーロッパにおける市民的価値観や文化的多元性の萌芽として後世に影響を与えている。

本パートが明らかにするのは、ザルツブルクという都市(あるいはその郊外)が、単なる観光地や伝統的文化の保存地としてではなく、実際に「選ばれる場所」「逃れる場所」「集う場所」としてどのような意味を持ったか、そしてそれがヨーロッパ知識人の思想的軌跡にどう刻まれたかである。ヘンドルフのような共同体は、表面上は平穏に見えながらも、メンバー同士の意見対立や孤独、亡命や帰還、現実との折り合いといった、きわめて人間的なドラマを孕んでいた。戦間期の不安定な政治状況のなかで、「コスモポリタン」「第三の道」「オルタナティブな共同体」という理想がどこまで持続可能であったか、またどこに限界があったのか――こうした問いかけが本パートの基調をなしている。

さらに、ヘンドルフ・サークルを中心とする事例は、都市ザルツブルク全体の文化的アイデンティティにも新しい光を投げかける。ウィーン的な大都市の匿名性や権力構造に対し、ザルツブルク(およびその郊外)は「顔の見える共同体」「選ばれる場所」「人間規模の文化圏」として独自の役割を果たした。そこには、都市の規模や経済力に依存しない「小さな中心」「開かれた避難所」としての都市像が浮かび上がる。

こうしてパート2は、戦間期ヨーロッパの「選択」と「共同体」そして「文化的アイデンティティの創造」というテーマを、ヘンドルフ・サークルという具体的事例を通じて描き出している。それは単なる亡命や抵抗の物語ではなく、激動の時代にあって人間と芸術がいかに持続可能な希望と倫理、創造性を模索したかという、普遍的な問いに繋がる物語である。ザルツブルクがヨーロッパ近現代文化史の中で果たした「避難所としての役割」「選ばれる場所としての意味」を再評価するうえで、本パートの分析は非常に重要な意義を持つ。


パート3(III. BEING SALZBURG: CULTURES FOUND AND LOST)は、戦間期におけるザルツブルクの社会的・文化的現実に、より具体的・多面的に迫る構成となっている。本パートは、都市社会の内部で実際に展開された「発見された文化」「失われた文化」の実相を、スポーツ、祝祭文化、音楽教育・芸術実践、そしてモダニズムの周縁など、さまざまな角度から描き出している。

まず特筆すべきは、スポーツという主題がこの時代のザルツブルクの社会構造やアイデンティティに与えた影響である。Andreas Praherの論考は、スポーツ文化が国家と独裁のはざまで、社会的階層や政治的分断、さらには都市と田園、エリートと大衆のあいだにどのような役割を果たしたのかを緻密に分析する。スポーツクラブや運動イベントは、単なる身体活動にとどまらず、戦間期ザルツブルクの市民社会を形づくる重要な社会的インフラであり、ナショナリズムやファシズムのイデオロギーの伝播、あるいは抵抗の場ともなった。特にサッカーや自転車競技、体操団体などは、社会階層間の境界線を越える交流を生み出す一方で、スポーツをめぐる分断や対立も浮き彫りにした。こうしたスポーツ文化の重層性は、都市の近代化とナショナル・アイデンティティ形成の鏡として機能し、ザルツブルク社会の多様性と矛盾を映し出している。

続くAlys X. Georgeの「Everyman and the New Man」では、ザルツブルク音楽祭を中心とする祝祭文化と、その対照としてのウィーンの大衆的祝祭が比較される。ザルツブルク音楽祭は、伝統的なカトリック的文化と近代的な芸術の融合を図る「上流階級の祭典」として設計され、エリート文化と市民社会の調和を謳い上げた。一方、1931年にウィーンで開催された国際労働者オリンピアードは、「新しい人間像」を掲げるマスフェスティバルであり、階級闘争や社会改革を強調した。この比較は、戦間期オーストリアにおける祝祭の二重性――保守的伝統と社会主義的未来志向、エリート主導と大衆参加――を鮮明に描き出している。ザルツブルク音楽祭の普遍性と閉鎖性、祝祭文化に込められた社会的希望と排除のメカニズムが、両都市の祭典を通じて浮き彫りにされる。

さらに、Julia Hinterbergerによるモーツァルテウム財団と音楽院の分析は、戦間期ザルツブルクの音楽文化の制度的・実践的側面に焦点を当てる。モーツァルテウムは、伝統的な音楽教育の拠点であると同時に、国際的な芸術家や学生の交流のハブでもあった。戦争と革命、社会的変動のなかで、音楽院は自己改革と伝統の維持というジレンマに直面し、スタッフや学生、カリキュラムの多様化を余儀なくされた。音楽を媒介とした国際交流とローカル・アイデンティティの模索、そして芸術教育における排除と包摂の力学が、戦間期ザルツブルク文化の複雑な性格を象徴している。

さらに、Julia Secklehnerによるパルディ・ヴォイテクのデザインとオーストリア近代主義の周縁を扱った章では、ザルツブルク音楽祭の視覚文化やモダニズムの多義性に焦点が当てられる。ヴォイテクのグラフィックデザインは、保守的モダニズムと大衆芸術、伝統の象徴操作と前衛的表現のあいだを行き来するものであった。ここでは、芸術家の個人的キャリアやジェンダー、社会的背景が、都市の文化政策や大衆の美的感受性と交錯し、祝祭空間の視覚的秩序と社会的意味づけが再構築されていくプロセスが描かれる。戦間期のザルツブルクは、政治・経済的制約のなかで「モダン」かつ「保守的」という両義性を生き抜いた都市であり、文化政策や芸術実践の現場では常に創造性と抑圧、包摂と排除、中心と周縁がせめぎあっていた。

こうした各章を貫く本パートの基調は、ザルツブルク社会の「多層的な文化実践」と「社会集団の共存と断絶」である。スポーツ、音楽、祝祭、視覚芸術といった分野ごとに異なる文化的アクターが登場し、それぞれが都市のアイデンティティ形成に独自の貢献を果たした一方で、階級、ジェンダー、政治的信条、経済力などをめぐる葛藤や排除、自己変革の試みもまた繰り返された。祝祭や芸術イベントは、都市の結束や希望の象徴であると同時に、社会的緊張や不和、時に政治的プロパガンダや排除の場ともなった。とりわけ1930年代後半からは、ナチズムやファシズムの影響が色濃くなり、こうした文化的多元性や自由は大きく制限されていくことになる。

本パートの意義は、ザルツブルクという都市が「文化的理想の実験場」であっただけでなく、その理想が現実の社会構造や政治的暴力、経済的不安定性によってどのように揺さぶられ、時に失われていったのか、そのダイナミズムを具体的に追っている点にある。ザルツブルクはしばしば「音楽と祝祭の都」として理想化されるが、実際にはその背後で多様な社会集団が対話と葛藤を繰り返し、創造と喪失、包摂と排除のドラマが幾重にも重なっていた。都市の文化政策や祭典は、階級、性別、ナショナリズム、モダニズム、保守主義、大衆文化といった多様な力学が複雑に絡み合う「社会の縮図」であった。


パート4(IV. EYES ON SALZBURG: SALZBURG AS OTHER)は、戦間期ザルツブルクの「他者性」に光を当てることで、この都市がヨーロッパ文化の中でいかに多様で複雑な社会的ネットワークを形成し、時代とともに揺れ動く「異質性」「周縁性」「外部からの視線」に直面してきたかを論じている。本パートでは主に、ユダヤ人コミュニティの存在と反ユダヤ主義、そしてハンガリーにおけるザルツブルク・イデアの受容という、二つの象徴的なトピックが取り上げられる。

まずHelga Embacherによる「1918年以降のザルツブルクにおけるユダヤ人アイデンティティと反ユダヤ主義」は、ザルツブルクという都市におけるユダヤ人の社会的位置や自己認識、そして戦間期の反ユダヤ主義の高まりとその社会的・政治的影響について多角的に分析する。帝政期から第一次世界大戦直後にかけて、ザルツブルクには比較的小規模ながらも活発なユダヤ人共同体が存在し、商業や学術、芸術分野で重要な役割を果たしていた。戦後の共和国時代、彼らは新しいオーストリアの一員として都市社会に統合されつつも、経済危機や社会不安の中で反ユダヤ主義的言説や差別、排除の力学が強まっていく。特に1930年代に入ると、ナチズムの台頭とともに、ユダヤ人市民の生活空間や社会的地位は急速に脅かされることとなる。

Embacherは、ザルツブルクのユダヤ人が「オーストリア人」「ヨーロッパ人」「宗教的マイノリティ」「外部者」という複数のアイデンティティを生きざるを得なかった現実、そして都市空間における「見えない存在」としてのユダヤ人像の生成過程を丹念に追う。ザルツブルクにおけるユダヤ人社会は、宗教的行事や文化活動を通じて結束を保ちつつも、都市のナショナル・アイデンティティや「純粋なオーストリア性」を強調する社会的風潮に直面し、次第に「他者」「異質な存在」として扱われていくのである。こうした動きは、戦間期ヨーロッパのマイノリティ問題、ナショナリズムと排除の論理、都市と周縁の力学といったより大きな問題系と直結している。最終的にナチズムの到来はザルツブルクのユダヤ人社会に壊滅的な打撃を与え、その多様な文化遺産や社会ネットワークは歴史の中で大きく失われることとなる。

続くAlexander Variの章「ハンガリーのザルツブルクたち」では、戦間期ハンガリーにおけるザルツブルク・イデア(Salzburg Idea)がどのように受容され、模倣され、観光政策や音楽祭、都市ブランドの形成に活用されたかが検証される。ザルツブルクはヨーロッパ音楽文化の象徴的中心地として、また高雅で伝統ある観光地として、ハンガリーを含む中欧各国の都市政策や文化行政のモデルとなった。とりわけモーツァルト生誕地としてのイメージは、都市観光の国際競争において重要な資産となり、ブダペストやその他のハンガリー都市においても、ザルツブルクに倣ったモーツァルト・コンサートやフェスティバルが開催されるようになる。Variはこの現象を、戦間期ヨーロッパにおける「文化の模倣と翻案」「都市イメージのグローバル化」「文化資源の移転とローカル化」の事例として位置づける。

ここで浮かび上がるのは、ザルツブルクという都市が単なる「オーストリアの地方都市」や「音楽祭の都」ではなく、ヨーロッパの広い文化ネットワークにおいて「参照される他者」「インスピレーションの源」として特別な役割を果たしたという事実である。ハンガリーにおけるザルツブルク・イデアの受容は、都市イメージや文化ブランドの国際的流通とローカルな意味変容のプロセスを示す好例であり、ザルツブルク自身もまた、外部の視線や模倣、競合のなかで自らの「他者性」と向き合う必要があった。

このパート全体を貫くのは、「他者性」「周縁性」「異質性」というキーワードである。ユダヤ人コミュニティの経験も、ハンガリーにおけるザルツブルク像の受容も、いずれも都市社会の内部/外部、中心/周縁、同一性/多様性といった対立軸を浮き彫りにし、都市アイデンティティの複雑な生成過程を照射している。ザルツブルクは自らを「中心」として夢見たが、実際にはつねに「他者の眼差し」「外部からの参照」「マイノリティの体験」とともにあった。そのため、都市の歴史や文化の記憶は、しばしば「忘却」や「排除」「再発見」を経ながら再構成されていく。

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kiyoshichiya
kiyoshichiya合同会社喜代七 / 喜代七屋 Kiyoshichi LLC / Kiyoshichiya freelance
Agriculture, Forestry, Fisheries Management Consultant & Fieldwork Coodinator.

We are working to live our LIFE that can be enjoyed for seven generations. Utilizing my know-how and experience, I am working as a professional consultant mainly in Japan and Germany. My hobbies are Mountaineering, Violin, Academic Learning & Fieldwork.
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