『流动的森林:一部清代市场经济史(Timber and Forestry in Qing China)』(張萌著、2024)


『流动的森林:一部清代市场经济史(Timber and Forestry in Qing China)』(張萌著、2024年)は、近年急速に発展した中国経済史・環境史研究の中でも、とりわけ新しい視点と精緻な方法論を駆使して、清代における木材市場と森林経営、林業を巡る社会的・経済的ダイナミズムを包括的に描き出した大著である。ここでは、本書の全体構成と主要な問題意識、分析枠組み、そして学術的意義を中心に、序章から序文・解説、書き下ろし部分に至るまでを踏まえて、その概要を一つの物語としてまとめていきたい。
中国史における「森林」の再発見
本書の出発点は、従来の中国史叙述のなかで「森林資源の軽視」や「乱伐と荒廃」のイメージがいかに根強く支配的であったか、という問いにある。近代以前の中国、特に明清期における人口増加や都市発展に伴う木材需要の拡大、それに伴う森林破壊や山地開発、さらには水害・土壌流出といった「環境危機」が、歴史研究や環境論において繰り返し語られてきた。たとえば、華北の原野化や南方山地の禿山化は、中国の持続不可能な発展の象徴として描かれてきたのである。
だが、著者張萌はこうした「単線的な破壊史観」への批判から出発し、むしろ清代の中国においては「木材資源の持続的利用」と「民間主導による市場秩序の形成」が、きわめて複雑かつ創造的な形で発展したことを、膨大な一次史料の分析と最新の理論的枠組みに基づいて明らかにしていく。その際、木材を単なる物的資源や建材としてではなく、「市場を動かす商品」「金融や契約、リスク分散の対象」「社会的ネットワークや権力関係を媒介するモノ」として多面的に捉え直すことが、本書の全体を貫く視点である。
人工林の発展と「私的秩序」の創出
とりわけ注目すべきは、清代中国南方で展開された「人工林」=人造林(とくに杉・松)の持続的経営である。天然林の枯渇や乱伐が進む一方で、南方各地では地主層、テナント、投資家、場合によっては宗族や村落共同体までが参画する形で、植林・育林・伐採・販売までを一体化した複雑な「林地所有・運営システム」が発達した。これは、西欧型の森林管理(例えばプロイセンや日本近代の官営造林)とも異なる、中国独自の民間主導型「森林資本主義」とも言えるものであった。
このシステムの根底には、伝統的な「株式分割」や「契約的所有」、さらには宗族や村落によるコーポラティブな所有・運営の伝統があった。林地への投資は土地所有者、労働を提供するテナント、さらには単なる資本参加者まで、多様な利害関係者の間で「株券」(分紅権、分伐権、分配権)の形で分割され、しばしば世代を超えた譲渡や売買も可能だった。長期(通常30年前後)の育林サイクルにも関わらず、こうした仕組みによってリスクが分散され、流動性や柔軟な資産運用が保障されたのである。
こうした「私的秩序(private ordering)」による持続可能な林業経営は、明清期中国の商業・経済制度がいかに複雑で進化していたか、また国家による強権的規制や計画に依存せずとも、市場と共同体のイノベーションによって自然資源管理が可能であったことを示している。この点は、例えば同時代のヨーロッパや日本の事例と比較してもきわめて独自性が高い。
流通・取引を支える「市場組織」と仲介制度
もう一つの軸は、こうした木材が実際に「市場を流通」し、「都市や沿岸部に届けられる」プロセスの詳細な分析である。ここでは、伐採された原木が山間部から河川を下り、しばしば巨大な筏となって長江や珠江を通って南京・上海・広州などの都市へと運ばれ、さらには江南や華中の建築、船舶、工業、日用品の生産に不可欠な資材として消費されていくダイナミズムが描かれる。
この巨大な木材サプライチェーンを支えていたのが、「行会(guild)」「牙行(ブローカー、中間業者)」などの市場中間組織である。これらは単なる仲介業にとどまらず、信用供与、情報流通、契約履行、債権回収、トラブル解決までを包括的に担う社会経済的インフラだった。とりわけ、清末以降は行会が国家に代わって納税代理や商人の調停役を担い、近代商会の萌芽となった。
行会や牙行は、その組織規約や評判維持を通じてメンバー間の規範遵守を強力に動機付け、違反者の排除や制裁も可能としたため、国家権力が不在・弱体な場面でも商業秩序が自律的に維持された。この点は、現代で言う「自己強制的契約」「信認資本」「レピュテーション経済」の萌芽と見なせるものである。
国家と市場の相互作用、そして「自由放任」の再評価
本書は、清朝国家が初期には直轄的な林業管理や木材調達を志向しつつも、次第に「市場購買」への依存を深め、実質的には民間主導の流通・経営に大きく依拠していった過程も詳細に描く。国家の役割は、特定商人団体の保護や腐敗官僚からの防御、公平な競争環境の維持などにシフトしていった。従来、自由放任主義は国家の無策と同義で否定的に語られることが多かったが、本書はむしろその中で社会的な自律秩序が形成され、リスク分散や持続的資源利用が実現した側面を評価する。
一方で、森林消耗や環境問題が完全に克服されたわけではない。20世紀以降、輸入材(洋木)の流入や工業化の加速により、在来のシステムは急速に変容していく。本書は近現代への移行期における帝国間競争(中国・ロシア・日本)や、朝鮮半島の日本植民地時代との比較も視野に入れ、グローバルな森林資源・市場競争の中で中国林業がどのように位置づけられるかを論じている。
エコロジカル・エージェンシーと商業文化
特筆すべきは、著者が「樹木それ自体の特性(杉、松など)」と「商業文化的価値付与」の両面に目を向け、物質性と社会性、自然と制度がどう絡み合って経済現象を生み出すかを丁寧に描いている点である。たとえば、杉の耐久性や成長サイクルが「林地投資証券化」や「期木市場」の金融的な合理性を支えたこと、また河川運搬の特性が市場分布や価格形成に影響したことなど、エコロジカルな要因と市場制度が互いに規定しあうダイナミズムが繰り返し強調される。
また、木材という「流動的商品」をめぐる各種の商習慣・社会的慣行(証券化、株券取引、長距離信用供与等)も、近代以前の中国がいかに高度な商業文化と制度的イノベーションを体現していたかを示す好例となっている。
定量分析と史資料の活用
本書の学術的特色の一つは、歴史統計の厳密な再構築である。税収データ、原木規格、筏規模など、多様な記録から1725年~1850年南京到着原木量を推計するなど、限られた史料からマクロな経済動態を数量化する努力がなされている。このことは、中国帝制期の経済史研究が抱える「定量データの欠如」という制約に果敢に挑んだ試みであり、今後の国際比較研究にも重要な示唆を与える。
学際的意義と比較史的視点
本書は、こうした木材・林業をめぐる経済・社会・環境の相互関係を、中国内部の制度進化として描く一方で、前近代日本(托特曼『緑の列島』)や朝鮮(植民地林業)、ロシア極東の森林経営といったグローバルな比較史的文脈にも位置づけている。その上で、中国の特徴(民間主導・契約重視・中間組織の自律性)と普遍的課題(国家と市場のダイナミクス、リスク管理、持続可能性)を多層的に論じている。
総括
『流动的森林』は、清代中国における森林資源の利用と木材市場を、「破壊と荒廃」だけでなく「創造と再生」「制度とイノベーション」の視点から捉え直すことに成功した、きわめて意欲的かつ総合的な研究である。そこには、近年の中国史研究の成果が詰まっていると同時に、比較経済史・環境史・法制度史・金融史など多くの分野への新たな架橋がある。人工林を中心とする民間主導の持続的資源利用、契約と株式分配によるリスク分散と資本流動性、市場中間組織による秩序形成、国家と社会の相互作用――これらのテーマは、現代のサステナビリティ論にもつながる普遍的な問いをはらんでいる。
さらに、制度や慣行の具体的ディテールからマクロな市場構造、そして森と人間社会を結ぶ文化的想像力に至るまで、多面的な視角が一冊に凝縮されている。歴史学・経済学・社会学・環境科学を横断しながら、過去の中国を現代的課題と結びつけて捉え直す本書は、21世紀の中国・東アジア研究における里程標の一つとなりえる。
Author Profile

- 合同会社喜代七 / 喜代七屋 Kiyoshichi LLC / Kiyoshichiya freelance
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Agriculture, Forestry, Fisheries Management Consultant & Fieldwork Coodinator.
We are working to live our LIFE that can be enjoyed for seven generations. Utilizing my know-how and experience, I am working as a professional consultant mainly in Japan and Germany. My hobbies are Mountaineering, Violin, Academic Learning & Fieldwork.


