『Small Island, Large Ocean: Mauritius and the Indian Ocean』(Burkhard Schnepel, 2023)


『Small Island, Large Ocean: Mauritius and the Indian Ocean』は、インド洋世界の中に位置する小島モーリシャスを題材に、その歴史・文化・社会構造を、多角的かつ長期的な視点から分析した学術的著作である。著者バーカード・シュネーペルは、20年以上にわたる現地調査と歴史資料の検討を通じて、この島がいかにインド洋世界と結びつき、その一部として機能してきたかを描き出す。本書の基本的な構図は「小島」と「大洋」の対比であり、局所的な事例研究を通じて、広域的な歴史的・文化的プロセスを明らかにするという社会人類学的アプローチが採用されている。
序章ではまず、モーリシャスという島の地理的条件と、インド洋世界という広大な空間の特性が概説される。モーリシャスの歴史は、他の多くの地域と異なり、古代にまでさかのぼる長期的な人間居住の連続性を持たず、近世以降に突然現れた植民地的創造物としての性格を強く帯びている。1598年のオランダによる偶発的な到達と命名に始まり、17世紀から18世紀にかけてのオランダ・フランスの植民試み、そして1810年のイギリスによる占領と支配が、島の社会・経済・文化の骨格を形作った。1968年の独立以降も、モーリシャスは植民地期の遺産を抱えながら、多様な民族構成、複雑な言語・宗教状況、そして世界経済との接続を特徴とする国家として歩んできた。
本書の特徴は、モーリシャスを孤立した事例としてではなく、インド洋世界全体の動態の中に位置づけて分析している点にある。著者は「島嶼性(islandness)」という概念を用い、インド洋の島々が持つ共通性と特異性を考察する。これらの島々は、しばしば交易・軍事・文化交流の拠点となり、海洋帝国の勢力圏を支える前哨基地として機能した。モーリシャスはその地理的位置から、アフリカ東岸とインド、さらには東南アジアを結ぶ海路上の重要な中継地であり、「前線社会(frontier society)」として外部勢力の進出や交易活動を受け入れる場であった。著者は、この「前線」概念を陸上史から海洋史に移植し、海を介した拡張や接触のあり方を描き出している。
章立ては、テーマごとに独立しつつも相互に関連する構成をとる。第2章では島嶼性とインド洋島嶼世界全体の比較が行われ、地理的孤立と交流の両義性が論じられる。第3章では17世紀末から18世紀半ばにかけての南西インド洋における海賊活動が取り上げられ、当時の海上権力構造や交易網への影響が分析される。第4章はモーリシャス史における疫病の役割を扱い、植民地社会の人口動態や経済活動に深刻な影響を与えたペストやマラリアの流行を検証する。第5章では現代モーリシャスの人口構成とアイデンティティ政治が取り上げられ、「リトル・インディア」としての側面と「クレオール社会」としての自己認識との間の緊張が描かれる。
第6章はモーリシャスの「ハブ」としての機能を歴史的に追跡する。寄港地から始まり、通信・物流の中継地、そして現代の「サイバー・アイランド」構想に至るまで、モーリシャスが持つ結節点としての役割が多角的に描かれる。第7章では観光業が経済のみならず文化的実践や社会関係に与える影響が分析され、「楽園の島」というイメージと地元住民の生活実態の乖離も浮き彫りにされる。第8章は文化遺産の政治を扱い、奴隷制や契約労働の記憶、セガ舞踊の観光化など、過去の記憶がどのように現代モーリシャス社会で再構築・利用されているかを論じる。
著者は、歴史学・人類学・地理学を横断する方法論を用い、フィールドワークやアーカイブ資料、国際学会での議論を通じて得られた知見を組み合わせている。その背景には、マックス・プランク社会人類学研究所やマルティン・ルター大学での長期的な研究プロジェクトがあり、現地での聞き取りや観察、一次史料の収集が丹念に積み重ねられている。こうした研究活動の積み重ねが、本書における豊富な事例と理論的考察の基盤となっている。
全体として本書は、モーリシャスを通じてインド洋世界の過去と現在を結びつけ、島嶼が持つ地理的制約と戦略的可能性の両面を示している。著者は、小さな島の事例が大きな歴史的・文化的テーマにどのように接続しうるかを明確に提示し、インド洋研究における比較・接続の重要性を強調する。さらに、植民地支配・グローバル経済・観光・文化遺産などのテーマが絡み合い、モーリシャスという「小さな島」が「大きな海洋」の中でどのように位置づけられ、また自己を位置づけてきたのかを、説得力のある叙述で描き出している。
Contents / 目次
- Small Island, Large Ocean: An Introduction
小さな島、大きな海洋――序論 - ‘Islandness’: The World of Indian Ocean Islands
「島嶼性」――インド洋の島々の世界 - ‘Not the Greatest Villains’: Piracy in the Southwestern Indian Ocean (c. 1680–1750)
「最悪の悪党ではない」――南西インド洋における海賊行為(約1680~1750年) - Infections on the Move: Epidemic Diseases in the History of Mauritius and Beyond
移動する感染症――モーリシャス史とその周辺における疫病 - ‘Little India’ or ‘Creole Society’? Demography, Contested Identities and Heritage Politics in Contemporary Mauritius
「リトル・インディア」か「クレオール社会」か――現代モーリシャスの人口動態、争われるアイデンティティ、そして遺産の政治 - Dead as a Dodo? Mauritius’s Path as Hub from Port of Call to Cyber Island
ドードーのように絶滅か?――寄港地からサイバーアイランドへと至るモーリシャスのハブとしての歩み - Paradise Island? Tourism and Life on Mauritian Beaches
楽園の島か?――観光業とモーリシャスの海辺の生活 - ‘Something New in the Present’: The Politics of Cultural Heritage in Postcolonial Mauritius
「現在における新しいもの」――ポストコロニアル・モーリシャスにおける文化遺産の政治
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第1章「Small Island, Large Ocean: An Introduction」は、本書全体の理論的枠組みと対象地域の基礎情報を提示する導入部であり、同時にモーリシャスという小島を通じてインド洋世界を捉えるという著者の方法論的立場を明確にしている。本章は、まず「小さな場所から大きな問題を考える」という社会人類学の伝統を踏まえ、トーマス・ヒラント・エリクセンの著名な入門書『Small Places, Large Issues』を意識したタイトルの由来を説明する。著者は、広大な「大洋」とそこに浮かぶ「小島」という対比構造を設定し、小島の視点からこそ見えてくる広域的な歴史的・文化的現象を明らかにしようとする。本書の各章は個別テーマとしても読めるが、通読すれば一貫した議論が展開され、モーリシャスとインド洋世界の関係史が多層的に描かれる仕組みになっている。
本章の前半では、モーリシャスという島の概要が提示される。地理的には南西インド洋に位置し、アフリカ東岸から約2000キロ、マダガスカル北部から東へ約800キロに位置する深海島である。その人類史は比較的短く、古代や中世における恒久的居住はなく、時折アラブやポルトガルの船が嵐を避けて寄港する程度であった。本格的な人間活動は16世紀末、1598年にオランダ船団が暴風雨により航路を外れ偶然到達したことに始まる。彼らは島を「モーリシャス」と命名し領有を宣言したが、植民化の試みは1610年以降も困難を極め、作物不作やサイクロン、ネズミ被害などに悩まされ1706年に撤退、島は再び無人状態となった。1715年にはフランス東インド会社が象徴的に占有を宣言し、「イル・ド・フランス」と改名、隣島ブルボン島からの入植を進め、1739年以降、ラブールドネ総督の指導下で植民地基盤を確立した。
19世紀初頭にはナポレオン戦争の余波が及び、1810年にイギリス軍が侵攻して島を制圧し、「モーリシャス」の名を復活させた。その後1968年の独立まで英領として統治され、以後は多民族・多言語・多宗教の国家として発展した。現在では面積約2000平方キロ、人口約130万人を抱え、年間100万人前後の観光客を迎える国際的観光地となっている。観光資源には、ビーチや海洋景観だけでなく、奴隷制時代に形成された音楽舞踊「セガ」や植民地時代の文化遺産が含まれ、後者はユネスコ世界遺産に登録されたものもある。
著者はモーリシャスを単なる孤立した島嶼ではなく、「フロンティア社会」として捉える。この概念は本来、アメリカ西部開拓史やシベリア、ラテンアメリカの辺境地域研究で用いられたものであり、固定的な国境ではなく流動的で拡張的な境界を意味する。そこでは外部からの移住者と先住民との接触・交流・衝突が重要なテーマとなる。モーリシャスの場合、先住民不在の島であったため典型的な陸上フロンティアとは異なるが、海洋帝国の勢力圏拡張における前進拠点(ブリッジヘッド)として機能した点で類似性を持つ。島はポルトガル、オランダ、フランス、イギリスなどの帝国によって利用され、今日ではアメリカや中国も関与する戦略的拠点となっている。
こうした視座は、海洋を舞台とした「フロンティア」研究の再構築を促す。陸上では馬や馬車での移動を前提とするが、海洋では船舶が主たる移動手段であり、港湾や寄港地が拡張の節点となる。島嶼はその地理的孤立にもかかわらず、航路やモンスーン風系に沿って高い接続性を持ち、交易・軍事・文化交流のハブとして機能した。モーリシャスも例外ではなく、ケープ・インド航路の中継点として商船・艦船の往来が絶えなかった。この意味で、モーリシャス史はインド洋世界の海上ネットワーク史の中で理解されるべきである。
さらに本章では、インド洋研究の方法論的課題にも触れられる。海洋を研究対象とする際、単に周辺地域の寄せ集めとしてではなく、海そのものを統合的な社会空間として捉える必要がある。そこでは、港町、島嶼、沿岸地域の相互作用や、モンスーンによる季節的航行パターン、交易品・人・文化の循環など、海洋固有の動態が分析対象となる。著者は、人類学・歴史学・地理学を組み合わせた「インド洋研究」のアプローチを提唱し、モーリシャスをそのモデルケースとして位置づける。
第2章「‘Islandness’: The World of Indian Ocean Islands」は、モーリシャスを含むインド洋の島々を「島嶼性(islandness)」という概念から捉え、その地理的特質、社会文化的条件、歴史的役割を比較検討する章である。本章は、島嶼研究(island studies)の理論的枠組みを提示しつつ、インド洋という特定の海域における島々の多様性と共通性を浮かび上がらせる点に特徴がある。著者は、島嶼を単なる孤立した空間や辺境ではなく、海洋ネットワークに組み込まれた結節点として分析し、島嶼性が生み出す社会的・文化的パターンを描き出す。
章冒頭で著者は、島嶼性を固定的な地理条件としてではなく、歴史的・社会的に構築される動態的な性質として捉える視点を示す。島は海に囲まれているため、物理的には孤立しているが、同時に海上交通や交易網を通じて外部と結びつきやすく、しばしば交流と変化の舞台となる。この「孤立と接続の二重性」は、島嶼社会を特徴づける根本的条件であり、島民のアイデンティティ形成、経済構造、文化的実践に深く影響を与えてきた。
本章ではまず、インド洋全域の島嶼地理が概観される。モーリシャスやレユニオン、セーシェルなどのマスカリン諸島、マダガスカルやコモロといった大規模島嶼、さらにモルディブ、ラッカディブ、チャゴス諸島、アンダマン・ニコバル諸島など、東西に広がる多様な島々が取り上げられる。これらは位置や規模、地質的起源、気候条件において異なるが、いずれもモンスーン風系に依存する航路上に位置し、歴史的にアフリカ・中東・南アジア・東南アジアとの交流に関わってきた。
著者は、島嶼性の研究において従来強調されてきた「孤立性」モデルに批判的である。海は障壁であると同時に媒介でもあり、インド洋の島々はむしろ航海技術と風系に適応することで外部世界と活発に交流してきた。考古学的・歴史的証拠からも、島々は交易ネットワークの中継地、海賊や私掠活動の拠点、奴隷貿易や労働移民の輸送経路、そして宗教や文化の伝播の場として機能してきたことが明らかになる。モーリシャスの事例もこの文脈に位置づけられ、外来支配や移民労働の受け入れ、観光開発など、外部との関係性の中で社会が形成されてきた点が強調される。
さらに著者は、島嶼性が生み出す特有の社会構造や文化的創造性に注目する。人口規模の小ささや資源の限界は、自給自足経済の制約や輸入依存を生み出す一方で、社会関係の密度を高め、共同体的連帯や社会的監視の強さをもたらす。また、外部からの文化的影響が混淆・変容しやすく、多文化的ハイブリディティが形成されやすい。モーリシャスの場合、インド系、アフリカ系、ヨーロッパ系、中国系など多様な起源を持つ住民が共存し、言語、宗教、食文化、芸能などで混淆的な文化体系が発展してきた。
本章の後半では、島嶼性の政治的・経済的意味が論じられる。インド洋の島々は、しばしば戦略的価値を持つ軍事拠点や物流拠点として重視され、植民地時代から現代まで大国間の争奪対象となってきた。冷戦期以降も、ディエゴガルシアやアンダマン諸島のように軍事利用が継続され、21世紀には海底資源開発や海洋安全保障の観点から再び地政学的注目を集めている。観光業や金融サービスなど、グローバル経済の中での役割も多様化しつつあり、島嶼は単なる「孤立した辺境」ではなく「接続の拠点」として再評価されている。
第3章「‘Not the Greatest Villains’: Piracy in the Southwestern Indian Ocean (c. 1680–1750)」は、17世紀末から18世紀半ばにかけて南西インド洋に存在した海賊活動を、従来の単純な悪党像から解き放ち、より複雑で多面的な歴史現象として描き直す章である。著者は、この時期の海賊行為を単なる犯罪や無秩序の象徴としてではなく、インド洋世界の経済構造、海上権力の変動、植民地社会の形成過程に深く関わる社会的・政治的営為として位置づけている。そのため本章は、海賊をめぐる歴史叙述の再評価と、南西インド洋という特定地域における事例研究の両方の性格を併せ持つ。
章冒頭で著者は、当時の海賊に関するヨーロッパ側史料や植民地記録に頻出する「海賊=最悪の悪党」という固定観念を批判的に検討する。史料に見られる言説は、しばしば海賊行為を暴力と略奪に還元し、植民地秩序を脅かす存在として描いているが、著者はこうした描写が当時の政治的・経済的利害に基づくプロパガンダであった可能性を指摘する。その一方で、海賊は国家や商業勢力との境界に存在するグレーゾーン的な活動を行い、場合によっては植民地権力と取引や協力関係を築くこともあった。つまり、彼らは単なる無法者ではなく、広域な海上ネットワークに適応し、利用するアクターでもあったのである。
本章では、1680年代から1750年頃までの南西インド洋海域の状況が時系列的に描かれる。当時、ケープ・ルート(喜望峰航路)を経てインドや東南アジアへ向かう船舶の増加とともに、インド洋西部にはフランス、オランダ、イギリスなどの植民地拠点が形成され、マスカリン諸島やマダガスカル沿岸が寄港地や補給地として利用された。この過程で、カリブ海や大西洋から流入した「退役」海賊や私掠船員がインド洋へ移動し、新たな海賊拠点を築いた。特にマダガスカル東岸は、淡水・食料・木材供給の容易さや、現地社会との交易機会によって、海賊にとって理想的な拠点となった。
著者は、海賊と現地社会の関係にも光を当てる。マダガスカルやコモロ諸島の沿岸社会は、交易や軍事的同盟関係を通じて海賊と接触し、時には物資や奴隷、現地の知識を提供した。こうした協力関係は、海賊にとっては補給・修理・隠れ家の確保につながり、現地社会にとっては鉄製品や火器、布地などの外来物資獲得の機会となった。この相互依存関係は、海賊が単に外部から侵入した脅威ではなく、地域社会の一部として組み込まれていたことを示している。
モーリシャスにおいても、フランス東インド会社の支配下で海賊との接触は一定程度存在した。表向きには植民地当局は海賊行為を取り締まる立場にあったが、実際には密輸や非公式取引を通じて利益を享受する場合もあった。こうした二重性は、植民地港湾都市の経済活動が必ずしも合法的交易だけに依存していなかったことを物語っている。また、海賊がもたらした物資や人的ネットワークは、植民地社会の形成や経済の多角化にも間接的な影響を与えた。
本章の中盤では、当時の国際政治情勢と海賊活動の関係が分析される。ヨーロッパ諸国間の戦争や停戦、私掠免許の発行と失効は、海賊行為の合法性や活動範囲を大きく左右した。特に、戦時には私掠船が合法的に敵国船舶を拿捕できる一方、和平が成立するとその活動が違法化され、多くの私掠船員が海賊化するという循環が見られた。このため、海賊と国家権力の関係は単純な対立ではなく、状況に応じた利用と排除の関係であった。
著者は、こうした歴史的事実から、南西インド洋における海賊を「最悪の悪党」ではなく、「国家権力と経済ネットワークの周縁で活動する柔軟なアクター」として再評価する必要があると結論づける。彼らは暴力的で略奪的な側面を持ちながらも、同時に地域間交易の媒介者であり、文化的接触や技術移転の担い手でもあった。モーリシャスを含む島嶼拠点は、このような活動の中継地として機能し、インド洋世界のダイナミズムの一端を担ったのである。
第4章「Infections on the Move: Epidemic Diseases in the History of Mauritius and Beyond」は、モーリシャス史における疫病の役割を通じて、インド洋世界における感染症の移動と影響を探る章である。本章の焦点は、島という地理的条件が感染症の流入と拡散にどのような影響を及ぼし、それが社会・経済・政治にどのような長期的帰結をもたらしたのかを明らかにする点にある。著者は、疫病史を単なる医学的出来事ではなく、海洋ネットワーク、植民地経営、人口動態、社会的記憶といった広い文脈に組み込んで分析する。
冒頭で著者は、モーリシャスが孤立した島であるにもかかわらず、歴史的に感染症から免れなかった理由を説明する。島は一見隔絶された安全な空間に見えるが、実際には港湾を通じて世界各地と結びついており、船舶や人の移動とともに病原体も容易に流入する。特に、インド洋交易の時代には、アフリカ、インド、中国、ヨーロッパなど、複数の疫病流行地域と直接接続していたため、モーリシャスは感染症の「中継地」となりやすかった。
本章では、17世紀以降にモーリシャスや周辺地域を襲った主要な疫病が時系列で取り上げられる。ペスト、コレラ、マラリア、黄熱病、インフルエンザなどが挙げられ、それぞれの流行経路と影響が詳述される。たとえば、コレラは19世紀初頭にインドから船員や労働者によって持ち込まれ、港湾都市を中心に急速に拡散した。マラリアはもともとマダガスカルやアフリカ大陸に広く存在していたが、気候条件と人間活動の変化によってモーリシャスでも定着し、農業労働力や軍事活動に深刻な影響を与えた。
著者は、疫病の流入が植民地経済と労働力構成に与えた影響にも注目する。奴隷制時代には、アフリカからの奴隷移送が感染症の持ち込み経路となり、特に過酷な船内環境が高い死亡率をもたらした。奴隷解放後には、インドからの契約労働者が新たな労働力となったが、この移民労働の流れも同時に病原体の移動経路となった。こうした感染症の流入は、労働力供給や経済活動を断続的に停滞させ、植民地当局にとって経済・衛生政策の両面で課題を突きつけた。
また本章では、港湾都市ポートルイスの事例が詳細に分析される。港は国際的な接点であると同時に、疫病の侵入口でもあった。入港検疫の導入や隔離施設の設置などの制度的対応が進められたが、商業活動との利害対立や資源不足により必ずしも十分に機能しなかった。さらに、感染症の拡散は経済的打撃だけでなく、社会的恐怖やスティグマを生み、特定の民族・職業集団に責任を押し付ける差別的言説も生まれた。
著者は、疫病をインド洋世界の移動史の一部として捉える視点を強調する。病原体の移動は、人や物資、情報の移動と不可分であり、海洋ネットワークにおける「負の側面」の一つであった。同時に、疫病対策のための制度やインフラ整備(検疫港、医療施設、水道・下水システムなど)は、島嶼社会の都市構造や行政機構を変容させ、長期的な近代化プロセスにも影響を与えた。こうした「災厄からの制度形成」という逆説的な側面は、モーリシャス史に限らず多くの海洋植民地に共通する現象である。
第5章「‘Little India’ or ‘Creole Society’? Demography, Contested Identities and Heritage Politics in Contemporary Mauritius」は、現代モーリシャスの人口構成とアイデンティティの多層性、そしてそれらをめぐる政治的・文化的対立を扱う章である。本章は、モーリシャス社会を「リトル・インディア」として捉える視点と、「クレオール社会」として捉える視点との間に横たわる緊張関係を軸に、人口動態の歴史的形成過程、宗教・言語・文化の多様性、さらに文化遺産をめぐる政治を分析するものである。著者は、これらの問題を単なる国内的な現象としてではなく、植民地支配とグローバルな移動史の帰結として捉えている。
冒頭で著者は、モーリシャスの人口構成を歴史的に整理する。今日の人口は、インド系(ヒンドゥー教徒とイスラム教徒)、アフリカ系(クレオール)、華人、ヨーロッパ系(フランス植民地時代の入植者子孫)などで構成される。この多様性は偶然の産物ではなく、奴隷制、インドからの契約労働移民、中国商人の移住、植民地行政官や軍人の滞在といった歴史的プロセスの積み重ねによって形成されたものである。特に19世紀の奴隷解放後、砂糖プランテーション経営のために大量のインド人契約労働者が流入したことが人口構成に決定的な影響を与えた。結果として、インド系住民は人口の過半を占めるに至り、政治的・経済的にも支配的地位を確立した。
しかし、この「多数派」としてのインド系の位置づけは、モーリシャス社会に複雑な緊張をもたらしてきた。一方で、インド系の文化や宗教(ヒンドゥー寺院やディワリ祭など)は国民文化の中核として顕彰されているが、他方でクレオールや華人など少数派コミュニティは、植民地期以来の社会的格差や差別の継続を指摘し、より包摂的な国民アイデンティティを求めている。この相克の中で、「モーリシャスはインド系主体の国か、それとも混淆的なクレオール社会か」という問いが繰り返し浮上してきた。
著者は、この対立構図を文化遺産政策や観光戦略との関連で論じる。たとえば、ユネスコ世界遺産に登録された「アープラヴァシ・ガート(Aapravasi Ghat)」は、19世紀にインド系契約労働者が上陸した施設跡であり、インド系移民の歴史を顕彰する象徴的遺産である。一方、奴隷制の記憶を伝える「ル・モルヌ文化的景観」は、クレオールの歴史的苦難を物語る場であり、観光資源としても活用されている。両者の存在は、多様な歴史的経験を可視化する一方で、どちらの記憶が国民的物語の中心に置かれるべきかという政治的・文化的競合を生んでいる。
また、言語政策もアイデンティティの争点となっている。公用語は英語だが、実際の行政・ビジネス・教育ではフランス語が広く使われ、家庭や日常会話ではクレオール語やボージュプリー語などが活発に用いられる。この多言語状況は文化的多様性を支える一方、言語による社会的分断や教育機会格差を助長する要因にもなっている。著者は、こうした言語的ヒエラルキーが植民地期の権力構造を引き継いでいることを指摘し、言語政策の再考を促している。
本章の後半では、現代政治におけるアイデンティティの動員が分析される。政党や政治家は、しばしば特定の民族・宗教コミュニティを基盤として支持を集め、その見返りとして文化的・経済的資源を配分する。このパトロネージ的政治構造は安定をもたらす一方、アイデンティティ間の対立を固定化し、国民統合の障害にもなっている。観光産業においても、インド系の宗教儀礼や文化イベント、クレオール音楽「セガ」などが商品化され、文化の消費形態がコミュニティ間のバランスやイメージ形成に影響を与えている。
第6章「Dead as a Dodo? Mauritius’s Path as Hub from Port of Call to Cyber Island」は、モーリシャスが歴史的にどのように「ハブ」として機能し、その役割が時代とともに変容してきたのかを描く章である。章題の「Dead as a Dodo?」は、絶滅したドードー鳥を象徴的に用い、かつての重要な寄港地としての役割が時代の変化とともに失われたのか、それとも新たな形で再生したのかを問いかけている。著者は、モーリシャスのハブとしての歩みを、植民地期の港湾経済から現代の情報通信インフラの中継点「サイバー・アイランド」構想まで、長期的かつ多層的に追跡している。
冒頭で著者は、モーリシャスが地理的に孤立した小島でありながら、インド洋海上ネットワークの中で戦略的な結節点として重要な役割を担ってきたことを強調する。17世紀から19世紀にかけて、モーリシャスは喜望峰航路とインド・東南アジア航路の交差点に位置し、船舶の補給・修理・乗組員の交代・物資の積み替えを行う「寄港地(port of call)」として不可欠だった。特にフランス東インド会社時代には軍事・商業両面での前進基地として整備され、英領期にも海軍と商船双方の中継地としての地位を維持した。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、蒸気船の普及とスエズ運河の開通(1869年)が航路の重心を変え、モーリシャスの港湾の戦略的重要性は相対的に低下した。だが、著者はここで「衰退」という単純な物語を否定し、むしろモーリシャスが新しい形でハブ機能を再構築した過程に注目する。海底電信ケーブルの敷設により、モーリシャスは通信網の結節点としての役割を獲得し、軍事的価値は低下しても、情報と通信の中継地として重要性を保ち続けた。
20世紀後半には、港湾インフラの近代化とともに、モーリシャスは地域的な貿易・物流拠点として機能を再強化した。自由港(free port)政策が導入され、再輸出や加工貿易が奨励されることで、インド洋西部における商業ハブとしての地位を確立していった。また、観光業の成長や金融サービス産業の発展とも相まって、モーリシャスは「複合型ハブ」へと進化し、単なる港湾都市から経済多角化のモデルへと転換した。
本章の後半では、21世紀に入ってからの「サイバー・アイランド」構想が取り上げられる。これは、モーリシャスを情報通信技術(ICT)の地域拠点として位置づけ、海底光ファイバーケーブルの中継地、データセンター、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の拠点として発展させる政策である。地理的にはアフリカ、アジア、オセアニアのほぼ中間に位置し、多言語・多文化・高い教育水準を持つ労働力が、この構想の競争力の源泉とされる。著者は、こうしたICT拠点化の動きが、かつての港湾ハブとしての役割の現代的再解釈であり、「モノの中継」から「情報の中継」へのシフトと捉えることができると指摘する。
また著者は、こうしたハブ機能の歴史を通じて、モーリシャスが常に外部世界との接続性を自己の生存戦略としてきたことを浮き彫りにする。ハブであることは、経済的機会をもたらす一方で、外部の経済変動や地政学的リスクにも脆弱であることを意味する。たとえば、海運技術の変化や通信ルートの改編は、瞬時にハブとしての価値を変化させうる。モーリシャスはそうした変化に適応し、再定義し続けることで、歴史的に「死んだドードー」にはならずに生き延びてきた。
第7章「Paradise Island? Tourism and Life on Mauritian Beaches」は、モーリシャスの観光産業、とりわけビーチ観光が島の経済・社会・文化に与えてきた影響を、批判的かつ多面的に分析する章である。章題の「Paradise Island?」という疑問符が示すように、著者はモーリシャスが国際的に喧伝される「楽園の島」というイメージと、実際の島民生活との乖離を明らかにし、その間に潜む経済的不均衡や社会的緊張を掘り下げている。
冒頭で著者は、モーリシャスが20世紀後半から21世紀初頭にかけて、インド洋随一の高級リゾート地として世界的にブランド化された経緯を概説する。植民地時代の砂糖産業依存から経済多角化を模索する過程で、観光業は国家戦略の中核に据えられ、政府・民間企業・国際資本が一体となって大型リゾート開発を推進した。特に1980年代以降、海岸線沿いに外資系高級ホテルが次々に建設され、モーリシャスは「白い砂浜と紺碧の海」を象徴とする観光ブランドを確立した。
しかし著者は、この「楽園」像の背後にある構造的問題に着目する。まず、リゾート開発はしばしば地元住民の漁業権や海岸アクセス権を制限し、伝統的な生活空間を観光客専用エリアへと変えてしまった。ビーチの一部は事実上ホテル利用者のみの占有となり、地元住民は自由に利用できなくなるケースも少なくない。また、観光収入の大半は外資企業や少数の国内資本に集中し、雇用は増加しても低賃金・非正規労働が多く、経済的利益が均等に分配されていない現実がある。
著者は、観光産業の影響を社会文化面からも分析する。ホテルや旅行会社は、観光客向けに「伝統文化」を演出するが、それはしばしば商業化され、簡略化された形で提供される。クレオール音楽「セガ」やインド系の宗教儀礼は、観光ショーの一部として舞台化され、文化が消費される過程で本来の文脈や意味が変容してしまう。また、観光需要に応じた文化のパッケージ化は、コミュニティ内での文化継承の形にも影響を及ぼし、地元住民の文化的自己認識を揺さぶることがある。
さらに本章では、観光と環境問題の関係も重要な論点として提示される。大規模リゾート開発は海岸侵食やサンゴ礁破壊を引き起こし、廃水処理やごみ処理の問題も深刻化している。観光業は環境保護を謳いながら、その経済的利益のために環境負荷を軽視する傾向があり、この矛盾は地元NGOや環境活動家から繰り返し批判されてきた。著者は、持続可能な観光政策が単なるスローガンではなく、実際の規制や運営改善に結びつく必要性を強調している。
本章の中盤では、著者は「ビーチ・ライフ」という視点から、地元住民の生活と観光空間の関係を描き出す。漁師、ビーチで働く露天商、観光案内人、あるいは若者たちのレジャー活動など、日常的な海辺の利用形態は、観光業の拡大とともに変化してきた。観光客向けの整備が進む一方で、地元の人々は公共空間の縮小や利用制限を経験しており、これが観光産業への不満や距離感を生んでいる。
また、著者は観光業がモーリシャス社会に与える心理的影響にも触れる。「楽園の島」というイメージは国際的には成功しているが、国内ではそれが必ずしも誇りや肯定感だけをもたらすわけではない。観光客向けのモーリシャス像と、現実の経済格差や社会問題との乖離は、しばしば島民の間に複雑な感情を生み出す。特に、観光客が享受するラグジュアリーな空間と、低賃金労働に従事する地元スタッフの生活環境との対比は、島内の階層差を可視化してしまう。
第8章「‘Something New in the Present’: The Politics of Cultural Heritage in Postcolonial Mauritius」は、ポストコロニアル期のモーリシャスにおける文化遺産の政治を中心テーマとし、過去の歴史や記憶が現代においてどのように再構築され、観光・ナショナリズム・国際的承認といった文脈の中で利用されているのかを分析する章である。章題に含まれる「現在における新しいもの」という言葉は、文化遺産が単なる過去の保存ではなく、現代社会において新たな意味づけや価値付けがなされる動態的なプロセスであることを示唆している。
冒頭で著者は、文化遺産をめぐる議論がポストコロニアル社会で特に重要となる理由を提示する。植民地支配を経た社会は、独立後に自らの国民的アイデンティティを再構築する必要があり、その過程で「誰の歴史が国の歴史として語られるのか」という問題が必然的に生じる。モーリシャスの場合、インド系多数派、クレオール系、華人、フランス系白人など、多様なコミュニティがそれぞれ異なる歴史的経験を持ち、その記憶はしばしば競合しながらも共存している。
本章の前半では、モーリシャスにおける二大世界遺産――アープラヴァシ・ガート(Aapravasi Ghat)とル・モルヌ文化的景観(Le Morne Cultural Landscape)――が事例として取り上げられる。アープラヴァシ・ガートは、19世紀にインドからの契約労働者が初めて上陸した場所であり、インド系コミュニティにとって移民の歴史と勤勉の象徴である。一方、ル・モルヌは奴隷制から逃れたマルーン(逃亡奴隷)が避難した地であり、クレオール系コミュニティの苦難と抵抗の記憶を体現している。両者は異なる歴史的物語を語るが、ともにユネスコ世界遺産に登録され、国際的にも象徴的価値を持つ存在となった。
著者は、これらの遺産登録プロセスが必ずしも国内的合意から出発したわけではなく、むしろ国際的承認を得ることを目的として推進された側面を指摘する。ユネスコ登録は観光促進や国家ブランド強化の手段ともなり、国家は遺産を経済資源として戦略的に利用してきた。しかし、その過程で、どの歴史が「代表的」として選ばれるかは政治的判断に左右され、他のコミュニティの歴史や記憶が相対的に可視化されにくくなる危険性がある。
本章の中盤では、文化遺産の観光利用が議論される。政府や観光業者は、これらの遺産を「訪れるべき場所」としてパッケージ化し、ガイドツアーや展示、イベントを通じて国内外に発信している。しかし、観光客向けの物語はしばしば簡略化・美化され、複雑な歴史的背景や社会的文脈が省略される。その結果、遺産は本来の歴史的複雑性を失い、消費可能な「文化商品」として再構成される危険性がある。
また著者は、文化遺産をめぐる国内政治のダイナミクスにも焦点を当てる。インド系多数派はアープラヴァシ・ガートを自らの歴史的正統性の証として強調し、クレオール系はル・モルヌを自らの記憶とアイデンティティの核心として位置づける。こうした遺産の「所有」をめぐる政治は、単に歴史解釈の違いにとどまらず、国家資源の配分や象徴的権威の獲得とも密接に結びついている。
さらに本章では、ポストコロニアル期における文化遺産の再解釈が国民統合に果たす役割も論じられる。国家は異なるコミュニティの歴史を包摂する物語を構築しようとするが、しばしばそれは「表面的な多文化主義」にとどまり、深層にある不平等や歴史的傷痕を十分に癒やすことができない。著者は、この限界を超えるためには、文化遺産の語りにおいて複数の視点を平等に取り入れること、そして観光や経済利用だけでなく、教育やコミュニティ主体の活動を通じた持続的な関与が必要であると主張する。
『Small Island, Large Ocean: Mauritius and the Indian Ocean』は、文化人類学者バーカード・シュネーペルによる、モーリシャスという小島を中心に据えたインド洋世界論である。本書は8章構成で、序章から終章まで一貫して「小さな島」から「広大な海洋」を読み解く視点を貫き、地理的・歴史的・文化的に多層的な島の姿を描くと同時に、インド洋を一つの結びついた社会空間として再考する。総じて本書は、島嶼研究、海洋史、ポストコロニアル研究の交差点に位置づけられる意欲的な試みである。
序論(第1章)は、モーリシャスの歴史的背景と、本書の方法論的立脚点を提示する。島は古代・中世には恒久的な人類居住がなく、17世紀にオランダが入植を試み、18世紀にはフランスが拠点化、19世紀にはイギリス領となり、1968年に独立するという複雑な植民地史を歩んだ。この小島は先住民不在のまま、帝国拡張の海洋フロンティアとして形成され、常に外部との接続性を生存戦略としてきた。そのため著者は、島を孤立空間としてではなく、外部ネットワークと密接に関わる結節点として分析する。
第2章は「島嶼性(islandness)」という理論枠組みからインド洋島嶼世界を比較する。著者は、島は物理的には孤立していても、海洋交通や交易網を通じて高度に接続される存在であるとし、「孤立と接続の二重性」を強調する。モーリシャスを含むインド洋諸島は、航路上の中継地として歴史的に人・物・文化が交差し、独自の社会構造や文化的ハイブリディティを形成してきた。従来の「孤立モデル」に批判的な本章は、海を媒介とする動態的な島嶼理解を提示している。
第3章は17〜18世紀の南西インド洋における海賊活動を取り上げ、「最悪の悪党」という単純化された像を覆す。海賊は植民地権力と対立する一方で、密輸や交易を通じて経済ネットワークに組み込まれ、現地社会とも相互依存関係を築いた。彼らは暴力と同時に流通や文化接触の媒介者でもあり、モーリシャスを含む港湾拠点はその活動の要所であった。国家と海賊の関係が状況次第で合法と違法を行き来する流動性は、インド洋史の特質を象徴している。
第4章は感染症史を海洋史と結びつけ、モーリシャスが港湾接続によって疫病にさらされ続けたことを描く。ペスト、コレラ、マラリアなどが船員や移民を通じて流入し、社会や経済に深刻な影響を与えた。港湾都市ポートルイスでは検疫や隔離施設が整備されたが、商業活動との利害衝突も多く、感染症は民族間のスティグマや差別を助長した。著者は、疫病が港湾インフラや行政制度の整備を促す「負の近代化」効果をもたらしたと指摘する。
第5章は現代モーリシャスの人口動態とアイデンティティ政治を論じる。インド系多数派とクレオール系少数派の間には、歴史的背景に基づく文化的・政治的緊張が存在する。「リトル・インディア」か「クレオール社会」かという国民像の争いは、世界遺産や文化政策、観光資源の取り扱いにも反映される。アープラヴァシ・ガート(インド系移民記念)とル・モルヌ(奴隷抵抗の象徴)という二つの遺産は、その象徴的対立を可視化している。
第6章はモーリシャスの「ハブ」としての機能変遷を追う。かつては寄港地として海軍・商船の重要拠点だったが、スエズ運河開通後に地位は低下した。しかし通信ケーブルや自由港政策によって経済的中継機能を再構築し、21世紀にはICTとBPOを核とする「サイバー・アイランド」構想を推進している。これは「モノの中継」から「情報の中継」への戦略的転換であり、地理的制約を逆手に取った現代的生存戦略として評価される。
第7章は観光業の光と影を描く。国際的に「楽園の島」としてブランド化された一方、リゾート開発は地元住民の海岸利用や漁業を制限し、経済利益の偏在や環境破壊をもたらしている。文化も観光向けに商業化され、セガ音楽や宗教儀礼は消費可能なパフォーマンスに再構成される。著者は、観光による経済発展と社会的公平性、環境保護とのバランスの難しさを指摘する。
第8章はポストコロニアル期の文化遺産政治を分析し、過去の記憶が現代において再構築され、観光・ナショナリズム・国際的承認の中で利用される様子を描く。ユネスコ登録は国際的ブランド強化に寄与するが、特定コミュニティの歴史が優先され、他の視点が周縁化される危険もある。著者は、表層的多文化主義を超え、複数の歴史を平等に取り入れる包摂的アプローチの必要性を訴える。
総じて本書は、モーリシャスを単なる「孤立した小島」ではなく、インド洋世界の結節点として位置づけ、その歴史と現代を通じて接続性のダイナミズムを描き出す。島は海によって囲まれながら、海によって開かれ、常に外部との関係の中で自らを再定義してきた。海賊、移民、疫病、観光、通信、文化遺産――いずれのテーマも、海洋ネットワークを介した人・物・情報の流動性と、それがもたらす機会と脆弱性の両義性を示している。著者の筆致は地域史にとどまらず、島嶼性や接続性をめぐる理論的議論に貢献しており、モーリシャスの事例を通じて、グローバル化とポストコロニアルの時代における小島嶼国家の課題と可能性を照射している。
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- 合同会社喜代七 / 喜代七屋 Kiyoshichi LLC / Kiyoshichiya freelance
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Agriculture, Forestry, Fisheries Management Consultant & Fieldwork Coodinator.
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