『In Japan liegt das Glück auf dem Land: Narrative zur Stadt-Land-Migration zwischen Selbstverwirklichung und Gemeinwohl』(Ludgera Lewerich, 2022)

概要

本書は、現代日本における若者の「都市から地方への移住」現象(いわゆる「Iターン」や「Uターン」)を、自己実現と社会的責任(Gemeinwohl:公共善)の観点から多角的に分析した社会学的研究書である。著者ルドゲラ・レーヴェリヒは、主に2014年から2018年の日本のメディア・政策・ライフスタイル誌・若者へのインタビューなど、豊富な一次資料・フィールドワークを基に、「なぜ今、若い世代は都市を離れ地方を目指すのか」「その移住の語りが社会的にどのような意味を持つのか」を問い直す。

近年、日本の地方は高齢化と人口減少という大きな課題に直面し、国や自治体は若者移住を積極的に推進している。本書はこうした現象を、単なる政策や人口移動としてではなく、「幸福(グルック)」や「自己実現」「共同体への帰属意識」「田舎へのノスタルジー」といったナラティブ(語り)の側面から詳細に解読する点が特徴である。
著者は、若者移住をめぐる日本社会の期待や自己語りを、(1)個人の自由・自律・新しい生き方への希求と、(2)地方再生や社会貢献という規範的要請のせめぎあいとして位置づけている。メディアや政策ディスコースでは、「若者が地方を救う」主体として積極的に呼びかけられ、当事者である若者自身も「自己実現」と「責任感」の両面を語る。しかし、その裏には都市と地方の格差、地方で生きることの現実的困難、移住者の“特別視”や排除、地域社会との摩擦も浮かび上がる。

本書はまた、移住した若者たちの「現場の声」=インタビューを通じて、個人の動機・経験・ジレンマ・アイデンティティの変容なども丹念に描き出す。移住のきっかけ、理想と現実のギャップ、地方での新たな役割や挑戦、コミュニティへの参加・葛藤など、移住者の多様なストーリーが丁寧に分析されている。

総じて本書は、現代日本の都市と地方をめぐる移動とアイデンティティの変容を、社会構造・政策・メディア・個人ナラティブの多層的視点から描いた、最新の社会学的地方論・ライフスタイル論である。
都市と地方の境界が揺らぐ時代、「田舎に幸せがある」とはどういうことか――その言説の成立過程と、当事者の語りのダイナミズムを解き明かす意欲的な一冊である。


Inhaltsverzeichnis(目次)

  1. Einleitung
     序論

 1.1 Japans verschwindende Regionen
  日本の消えゆく地域

 1.2 Die jungen Generationen als Retter:innen der Regionen
  若い世代による地域の「救済者」論

 1.3 Fragestellung, Theorie und Methode
  研究課題・理論・方法

 1.4 Aufbau der Arbeit
  本書の構成

  1. Individualisierung in Japan: Von der Nachkriegszeit bis in die Gegenwart
     日本における個人化:戦後から現代まで

 2.1 Die Standardisierung der Lebensläufe und die Etablierung der dominanten Subjektvorstellungen
  人生経路の標準化と支配的な主体像の成立

 2.2 Das Platzen der Bubble – Japan in der Krise
  バブル崩壊-危機の中の日本

 2.3 Individualisierungstendenzen in Post-Bubble Japan
  ポストバブル期日本の個人化傾向

 2.4 Individualisierung zwischen Freiheit und Zwang
  自由と強制のはざまでの個人化

  1. Verfall und Idylle: Repräsentationen des ländlichen Japans
     衰退と田園的理想:日本の田舎表象

 3.1 Das ländliche Japan als Objekt der Modernisierung und Revitalisierung
  近代化と活性化の対象としての農村日本

 3.2 Verfall: von der „Entvölkerung“ bis zum „Aussterben“ der Regionen
  衰退:過疎から地域の「消滅」まで

 3.3 Idylle: Die nostalgisch verklärte, nationale Heimat
  理想郷:ノスタルジックに美化された国民的ふるさと

 3.4 Regionen in der Verantwortung
  地域の責任

  1. Subjektivierungsforschung: Selbst-Erzählungen als diskursive Positionierungen
     主観化研究:自己語りとディスクール上の位置づけ

 4.1 Wissenssoziologische Diskursanalyse
  知識社会学的ディスコース分析

 4.2 Die Empirische Subjektivierungsanalyse
  実証的主観化分析

 4.3 Die diskursiven Adressierungen und die Adressierten
  ディスコース上の呼びかけと受け手

  1. Der Diskurs um Stadt-Land-Migration zwischen Verheißung und Verpflichtung
     都市―地方移住ディスコース:希望と義務のはざまで

 5.1 Chihō sōsei: Abe Shinzōs Politik der regionalen Revitalisierung
  地方創生:安倍晋三政権の地域活性化政策

 5.2 Die Akteur:innen und das Material
  アクターと資料

 5.3 Die Definition des Phänomens „Stadt-Land-Migration“
  「都市―地方移住」現象の定義

 5.4 Verheißungen
  約束・希望

 5.5 Vorbereitungen
  準備

 5.6 Verpflichtung und Verantwortung
  義務と責任

 5.7 Kein Platz für Kritik?
  批判の余地はあるか?

 5.8 Unternehmerische, gemeinwohlorientierte Selbsterfüllung in idyllischen Regionen
  田園地域における起業的・公共志向的自己実現

  1. Die tatsächlichen Subjektivierungsweisen: Von Selbstverwirklichung, Freiheit und Gemeinwohlorientierung
     実際の主観化のあり方:自己実現・自由・公共性志向

 6.1 Das Feld
  フィールド

 6.2 Der Interviewprozess
  インタビューのプロセス

 6.3 Drei Orte, drei Gruppen von Interviewten?
  三つの場所・三つのインタビュイー群?

 6.4 Auslöser, Ziele und Motivationen
  きっかけ・目的・動機

 6.5 Die Entscheidung für den Ort
  場所選択の理由

 6.6 Das Leben auf dem Land
  地方での暮らし

  1. Diskussion: Vom Glück auf dem Land
     討論:田舎の幸福について

 7.1 Das ländliche Japan als furusato 2.0
  田舎=新しい「ふるさと」像

 7.2 Gemeinwohlorientierung
  公共志向

 7.3 Selbst-Erzählungen zwischen Selbstverwirklichung und Responsibilisierung
  自己語り:自己実現と責任化のはざまで

 7.4 Ausblick
  展望

Literaturverzeichnis
 文献一覧

Register
 索引


第1章「序論」

本章「Einleitung(序論)」は、現代日本社会における「地方の消滅」「若者の都市離れ」「地方移住」という現象を、社会学的かつナラティブ分析の視点から総合的に読み解くことを目的とするものである。本章の論点・構成は、まず近年日本で喧伝されてきた「消えゆく地方」論の台頭、続いて「地方を救う若者たち」への過剰な期待、そして著者自身の問題意識(研究課題・理論・方法)、本書全体の構成案、という4点で構成されている。本章の特徴を整理しつつ、書評風に批判的検討も加えたい。


1.1 日本の消えゆく地域

序論は「日本の地方は消滅するのか?」という問いから始まる。2014年の「増田レポート(Masuda Report)」が発端となり、「2040年までに日本の約半数の自治体が消滅する」という衝撃的なメッセージが政策・メディア・世論を席巻した。
この「地方消滅」ディスコースは、バブル崩壊後の経済停滞、急速な高齢化・人口減少、若者の大都市流出、農村・漁村部の産業衰退といった構造的課題と深く結びついている。「限界集落」「過疎」「地域消滅」「地方再生」などの語が日本の政策言説・メディアを賑わせ、地方出身者や自治体も危機感を募らせるようになった。

本章では、この「消滅」言説が単なる人口統計的な事実を超え、「地方は弱い」「救わねばならない」「若者がいなくなると終わりだ」といったイメージを日本社会に強く定着させてきたプロセスを読み解く。「地方の危機」は、現代日本の社会構造を映し出す鏡であり、同時に政策・メディア・学術界による意味づけの産物でもある。


1.2 「地方を救う若者たち」への期待

次に論じられるのは、「若い世代が地方を救う」という物語の浮上である。2010年代以降、日本社会は「地方を再生するのは若者だ」「都市から地方への移住がブーム」「Iターン/Uターンが地方の希望」といった言説に包まれた。安倍政権が打ち出した「地方創生」政策もこの潮流の一端を担い、移住促進や定住奨励策、起業・UIJターン支援、地域おこし協力隊などの政策が次々に展開された。

メディアもまた、地方に移住し自分らしい生き方を選択する若者たちを「地方の救世主」として称賛し、各種ライフスタイル誌やウェブメディアでは「田舎に幸せがある」「地方で自己実現」「地域で新しい仕事」といったストーリーが多用されるようになった。

著者は、こうした「都市から地方へ」という移動現象が、実際にはごく一部の事例であり、全体としては依然として大都市集中が続いている現実を指摘しつつも、なぜこれほど「若者の地方移住」が社会的な期待と賛美の対象となるのか、その“語り”の構造と社会的機能に着目する。


1.3 研究課題・理論・方法

著者は、本書の中心的な研究課題を「若者の都市-地方移住をめぐる語り(ナラティブ)は、どのような社会的文脈の中で成立し、どんな意味を帯びるのか」「地方移住という現象は、日本社会の個人化・自己実現・公共志向という近代的価値観の変容とどのように関係しているのか」と設定する。

理論的枠組みとしては、

  • 知識社会学的ディスコース分析(Wissenssoziologische Diskursanalyse)
  • 主観化分析(Subjektivierungsanalyse)
    の二つを軸に据える。
    前者は、政策・メディア・社会の言説を社会的知識として分析し、後者は個々人(移住者自身)の自己語り=主観化プロセスを分析する手法である。

方法論的には、2014~2018年の政策文書・メディア記事・ライフスタイル雑誌の収集・分析、および実際に地方移住した20~30代の若者へのインタビュー(フィールドワーク)を通じて、「語られる地方」「語る若者」「政策・社会の枠組み」の三層構造を明らかにする。


1.4 本書の構成

本章の最後で、著者は本書全体の構成と各章の狙いを概説する。

  • 第2章は「個人化」を歴史的・社会的に検証し、日本社会における個人主義・自己実現志向の拡大が地方移住ディスコースの前提となっていることを論じる。
  • 第3章は、近代以降の「田舎」表象(衰退/理想郷)をメディアや社会言説から整理し、「田舎=ノスタルジー」「田舎=変革の場」という両義的な構造を分析する。
  • 第4章は、主観化研究の理論的手法と、本書で用いるディスコース分析の方法を説明する。
  • 第5章は、政策・メディアディスコースにおける都市-地方移住の語られ方、期待や規範・価値観、責任意識の形成過程を具体的に分析する。
  • 第6章は、実際の移住者のインタビューを通じて、「自己実現」「コミュニティ」「自由」「責任」など、多様な語りと実践、葛藤やジレンマ、アイデンティティの再編を明らかにする。
  • 第7章は総括として、「田舎に幸せがある」とは何か、その社会的・個人的意義、そして今後の都市-地方関係・日本社会への示唆をまとめる。

第2章「日本における個人化:戦後から現代まで」

本章では、現代日本社会の地方移住現象を読み解くうえで不可欠な「個人化(Individualisierung)」という観点から、戦後日本におけるライフコースや主体性の変容が論じられる。地方への若者移住は、単なる人口動態や政策誘導だけでなく、社会全体に広がる「自己実現志向」「個人主義化」「標準化された人生設計」といった価値観の変化と密接に関わる。本章は、(1)戦後の標準的人生モデルの成立、(2)バブル崩壊後の個人化の深化と危機、(3)個人化の自由と制約、という三つの主要パートで構成されている。


2.1 標準的ライフコースと支配的主体像の成立

まず著者は、戦後日本がいかに「標準的ライフコース」を強く形成してきたかを歴史的に描く。高度成長期以降、日本社会は「教育→就職→結婚→出産→定年→老後」という直線的な人生設計を“理想”とし、これをほぼ全員に適用する「人生の標準化」を推進してきた。その背後には、企業・学校・家族という三つの「安定した制度」の強い支配と、「一億総中流」という国民的自己像があった。

この時代の「個人」は、組織や家族への帰属意識を基盤とした「集団主義的個人」だった。日本型雇用、終身雇用、年功序列、核家族化といった社会構造のもとで、個人の人生設計は国家や企業・家族の期待に沿って「計画的に」営まれるべきものとされた。ここでの“自己実現”は「良い会社に入り家族をもち、社会に役立つ」こととほぼ同義であり、個々人のライフスタイルや価値観の多様性は限定的だった。

この「標準的人生モデル」は、戦後日本社会の“安定”と“成長”のイメージの中心的支柱であり、「地方」もまたこの文脈で、家族や集団への貢献を重視する“規範的空間”として位置づけられてきた。


2.2 バブル崩壊と個人化の危機

だが、1990年代初頭のバブル崩壊以降、日本社会は大きな転換点を迎える。経済停滞、雇用の不安定化、非正規雇用の拡大、家族形態の多様化、少子高齢化、グローバル化といった変化により、かつての「標準的ライフコース」はもはや万人のものではなくなった。
この状況は、社会学者ベックやギデンズが論じた「リスク社会」や「再帰的近代化」の日本型展開と重なる部分が多い。人生の予測可能性や制度的支援が弱まり、個人が自分で自分の人生を「選択」「自己決定」せざるを得ない時代となった。ここから「自己実現」「自分らしさ」「オリジナルな生き方」といった新しい価値観が強く打ち出されるようになる。

しかしその裏側には、「自己責任」の強調や“負け組”“フリーター”“ニート”“孤立死”など、リスクや不安定性の増大も伴っていた。地方社会では、若者流出・高齢化・コミュニティ崩壊が進行し、「田舎=安定」「都市=競争」という従来の図式も揺らぐ。若者たちは、都市でも地方でも「生きづらさ」「将来不安」「社会的孤立」など新たな課題に直面することとなる。


2.3 ポストバブル期の個人化傾向

ポストバブル期に入ると、日本社会はますます「個人化(Individualisierung)」が進行し、「自分らしさの追求」や「ライフスタイルの多様性」が前面に出てくる。2000年代以降の政策・メディア・自己啓発書・SNSなどでは、「どこで・どう生きるかは個人の自由」「田舎で自己実現」「地域を変える個人」といった物語が広く流通するようになった。

著者は、こうした個人化傾向が実際には「自由」だけでなく「新たな規範性」「自己責任」「自己管理」のプレッシャーを伴っている点を重視する。つまり「自分で人生をデザインせよ」という圧力が個人を孤立・不安に追い込むこともある。移住や地方での新しい生き方も、「自由であることが義務」となりがちであり、従来の集団主義に代わる「個人主義的規範」に包摂される危うさがある。


2.4 自由と強制のはざまで

本章の終盤では、「個人化」の二重性が改めて強調される。たしかに現代日本社会は、場所や職業、家族の形態などさまざまな選択肢を拡大させた。しかし同時に「選択しない自由」「“普通”を求める自由」がますます認められにくくなり、社会的な成功や自己実現を“自分で引き受ける”べきものとされている。地方移住や新しい暮らし方の推進もまた、「自由な選択」として称揚されつつ、その裏に「成功物語の押し付け」「自己責任化」「都市的価値観の地方への流入」といった問題が潜む。

地方における若者移住も、単なる社会構造の変化ではなく、こうした「個人化=自己実現」「自己責任」「選択の強制」といった複雑な力学の中で語られ・実践される。地方は“自己実現の舞台”として理想化される一方、移住者自身がコミュニティ内で新たな「特別な役割」を期待されたり、「新しい価値観の担い手」として重圧を感じたりもする。ここに都市と地方、伝統と革新、自由と規範、個人と集団といった多層的な相克が現れている。


第3章「衰退と田園的理想:日本の田舎表象」

本章は、現代日本社会における「田舎」イメージが、いかに複雑で多層的なナラティブによって形作られているかを、主にメディアや政策、文化的言説の分析を通じて明らかにするものである。とりわけ、「衰退する地方」「失われゆく農村」と「田園的な理想郷・ふるさと」という二つの対照的イメージが、いかに交錯し相補的に用いられてきたか、その歴史的・社会的変遷に焦点を当てている。

章構成としては、(1)近代化と活性化の対象としての田舎、(2)衰退・消滅というネガティブな田舎表象、(3)ノスタルジックで理想化されたふるさとイメージ、(4)地方・地域の責任と主体化、という四つの切り口で「田舎」イメージの多様性と変容を整理している。


3.1 近代化と活性化の対象としての農村日本

まず著者は、近代以降の日本社会において「田舎=遅れた場所、変革の対象」として語られてきた歴史的文脈を整理する。明治期以降、日本の近代化・国民国家形成の過程で「農村=伝統/都市=近代」の対比が強く意識され、農村はしばしば教育・衛生・産業化・インフラ整備の“遅れた場所”として「近代化・開発の対象」となった。

戦後の高度経済成長期には、農村から都市への人口流出(いわゆる「農村離村」)、産業構造の急速な転換、農業・漁業の衰退が加速した。地方は「活性化」や「地域振興」という名のもとで、常に「変革されるべき場所」「支援と改革の対象」とされ、中央政府や自治体、企業、メディアによる“外部からのまなざし”の下で語られてきた。

この過程で「田舎」とは、常に“遅れているが可能性を秘めた場所”“都市的価値観を移植すべき空間”とされ、政策やメディアの主導で「活性化」「再生」「地方創生」といった文脈で論じられることが多かった。


3.2 衰退:過疎から地域の「消滅」まで

一方で1970年代以降、「過疎」「限界集落」「消滅」「縮小」「消えゆくふるさと」といったネガティブな田舎表象が顕著になる。バブル崩壊後には人口減少・高齢化の加速により、地方の“終わり”や“消滅”をめぐる言説が社会的に大きなインパクトをもつようになった。

代表的なのが、2014年の「増田レポート」に象徴される「地方消滅」論であり、「40年後に896市町村が消える」「限界集落が急増」「田舎はもう終わりだ」といった警鐘的・危機的な語りが拡大した。これらの言説は、統計や予測モデルのインパクトとともに、メディアや行政、政策関係者、地元住民に強い不安や危機感を植え付けてきた。

著者は、この「消滅」ディスコースが現実の人口減少や産業衰退という“事実”のみによるものではなく、「田舎=弱体化する/支援・介入が必要」という価値判断や、都市中心主義的まなざしの下で再生産されている点に注意を促す。つまり、「田舎の衰退」は、社会的・政治的な語りのなかで“物語化”されている側面が強い。


3.3 理想郷:ノスタルジックに美化された国民的ふるさと

他方で、衰退や消滅のディスコースと並行し、常に「田舎=理想郷」「ふるさと=郷愁/原風景/癒し」というポジティブなイメージも存在してきた。これは、明治期以降のナショナリズム形成や、戦後の「ふるさとブーム」、テレビドラマ・歌謡曲・観光プロモーションなどを通じて強化されたものである。

都市化・グローバル化が進むなかで、「田舎」は“日本人の原風景”“失われゆく美徳”“癒しと安らぎ”“本当の自分に戻れる場所”として語られる。近年では、都市住民や若者にとっての“セカンドライフ”や“スローライフ”“田園回帰”の対象としても位置づけられ、メディアや自治体の観光・定住促進キャンペーンにも頻繁に用いられている。

著者は、こうしたノスタルジックなふるさと像が、しばしば現実の地方の困難や葛藤を覆い隠し、理想化・美化・単純化されがちであること、また都市的価値観・消費的欲望を投影する“幻想の田舎”として機能していることを批判的に指摘している。


3.4 地域の責任

章の終盤では、近年の「地方創生」「地域再生」政策やメディア言説が、「地方が自ら責任をもって変わらなければならない」「イノベーションの担い手たれ」「外部人材の受け入れ・多様化」「地方自立」といった“責任化”“主体化”の言説へと転換してきたことが論じられる。

地方はもはや「支援されるだけの存在」ではなく、「自ら変わるべき」「イニシアティブを持て」「若者や女性・外部人材を活用せよ」といったポジティブな自己変革の主語として語られる。しかしこの背景には、国や都市部の側から地方に課せられる“期待”や“自己責任化”の強化という一面もある。

著者は、こうした主体化・責任化の言説が「地方の多様性」「コミュニティのリアルな課題」「都市-地方間の構造的不均衡」をしばしば隠蔽し、均質な“地方像”や“理想の田舎”を流通させる危うさを指摘している。


第4章「主観化研究:自己語りとディスコース上の位置づけ」

本章は、本書の分析アプローチである「主観化研究」と「ディスコース分析」について、理論的背景と具体的手法を明示し、地方移住現象を“個人の語り(自己語り=Selbst-Erzählungen)”と“社会的言説(ディスコース)”の相互作用として読み解く方法論的枠組みを提示する。
ここで重要なのは、単に社会構造やマクロな政策分析にとどまらず、「移住する個人が自らをどのように語り、社会的にどのような意味づけを受けているか」を、本人のナラティブと社会的呼びかけの両面から考察する点にある。

章は(1)知識社会学的ディスコース分析の基礎、(2)主観化分析の方法論、(3)ディスコースにおけるアドレス(呼びかけ)とその受け手、という三部で展開される。


4.1 知識社会学的ディスコース分析

まず、著者は「知識社会学的ディスコース分析(Wissenssoziologische Diskursanalyse)」の理論的枠組みを導入する。これは、Peter L. Berger や Thomas Luckmann の「知識の社会的構成」理論を基盤とし、社会に流通する言説(政策文書、メディア記事、世論、ライフスタイル誌など)が、どのように“当たり前の現実”や“個人の選択肢”として制度化されていくかを分析する方法である。

本手法では、

  • 政策・行政・メディアによる「地方移住」「Iターン」「田舎の幸福」等の言説が、社会的な期待や規範、行動モデルとして“ナラティブ化”される過程
  • これらの語りが個人の自己語りや行動、選択の枠組みにどのように影響するか
    を、テキスト収集・語彙分析・物語構造の解読などを通じて検証する。

また、「ディスコース分析」は単なる言語的分析にとどまらず、「語る主体」や「語りの対象」が社会的・政治的・歴史的文脈の中でどのように配置されているかを考察する点に特徴がある。
たとえば「若者が地方を救う」という政策ディスコースは、単なるスローガンではなく、個人の自己実現・社会貢献・共同体の再生といった複数の物語を重ね合わせる“社会的脚本”として機能する。


4.2 実証的主観化分析

次に、著者は「主観化分析(Subjektivierungsanalyse)」の方法論を詳述する。ここでの主観化とは、Foucault や Butler、Rose らの議論に基づく、「社会的ディスコースが個人の主体性や自己像をどう構成するか」という問いに答えるものである。
本書では、実際に地方に移住した若者たちのインタビュー(自己語り)を中心に、その語りがどのように社会的ディスコースと呼応・抵抗・変容しているかを分析する。

主観化分析は、

  • インタビュイーがどのような言葉や物語を使って「自分」を語るのか
  • 社会的に流通している「地方移住」「田舎の幸福」「自己実現」の言説をどのように内面化/差異化しているのか
  • その語りの中にどのような葛藤、自己矛盾、適応/抵抗/逸脱が見られるか
    などを、語りの断片やエピソード、感情表現、役割意識の変遷などを通じて丁寧に追うものである。

著者は、自己語りが必ずしも「社会的期待や政策ディスコース」のコピーではなく、「ズレ」や「抵抗」、「新しい意味づけ」を生み出す“創造的主体化”の場であることを重視している。
移住者が「私は田舎で自己実現できる」と語る時、その裏にある不安・躊躇・周囲との違和感・過剰な期待やプレッシャーといった“声にならない声”も含めて掬い上げることが、主観化分析の大きな役割である。


4.3 ディスコース上の呼びかけと受け手

章の最後では、「ディスコースにおけるアドレス(呼びかけ)とアドレッシー(受け手)」という概念が整理される。これは、社会の側(政策、メディア、地域社会)が「若者」「移住者」「都市住民」などのカテゴリーに“役割”や“期待”を投げかけ、個人はその呼びかけに対して“受け止め方”“応答の仕方”を選択するという双方向的な関係を強調する。

例えば、

  • 「若者よ、地方に来て地域を救え!」という政策メッセージ
  • 「田舎で自分らしい生き方を実現しよう!」というライフスタイル誌の特集
  • 「地域の新しい担い手としての移住者」という地元の期待や評価
    などが、“アドレス”として個人に向けて発せられ、個人はそれを「内面化」したり、「距離をとる」「批判する」「新たな語りを創る」といった形で応答する。

著者は、「自己語り」はつねにこの“呼びかけと応答”の中で生成されること、個人の主体性は社会的言説の圧力と交渉しながら形成される“動的プロセス”であることを強調する。


第5章「都市―地方移住ディスコース:希望と義務のはざまで」

本章は、2010年代の日本社会で急速に拡大した「都市から地方への移住(Stadt-Land-Migration)」をめぐる言説を、希望(Verheißung)と義務(Verpflichtung)の二重性から分析するものである。特に、安倍政権以降の「地方創生」政策や、メディア・行政・企業・NPOが発信する移住促進言説、そして実際に地方移住を選択した若者たちの自己語りの構造を、多様な資料とインタビューをもとに解き明かしている。

章の構成は、(1)「地方創生」政策とディスコースの形成、(2)移住ディスコースの主なアクターと資料、(3)移住現象の定義・分類、(4)希望(Verheißung)としての移住、(5)移住の準備、(6)義務と責任意識、(7)批判や懐疑の空間、(8)田園地域での起業的・公共志向的自己実現、という八つの切り口で展開される。


5.1 地方創生:安倍政権の政策と移住ディスコースの形成

2014年、安倍政権は「地方創生」を国家戦略の柱に据えた。これは「人口減少・超高齢社会への対応」「東京一極集中の是正」「地方の活性化」を狙いとし、「若者よ、地方へ!」という明確なメッセージを打ち出した。移住促進のために各種補助金、起業支援、就業斡旋、住宅支援、UIJターン(Uターン、Iターン、Jターン)政策、地域おこし協力隊の拡充などが制度化された。

本章では、こうした政策が単なる人口政策・雇用政策に留まらず、「若者移住=地方再生の希望」という“新しい国民的物語”としてメディアや行政、企業、自治体の多様なアクターによって語られ、社会に広まっていった過程を検証する。


5.2 アクターと資料

著者は、地方移住をめぐる言説空間の主な担い手として、

  • 政策立案者(政府、自治体、関連機関)
  • メディア(新聞、雑誌、ウェブ、SNS、ライフスタイル誌)
  • 移住支援団体・NPO・民間企業
  • 実際に移住した若者や家族
    を挙げる。

特に、メディアとライフスタイル誌の影響力が大きく、「地方移住」「田舎暮らし」「地域で起業」「ローカルベンチャー」といった特集が数多く組まれる。実際の移住イベントや体験談も多く発信され、“地方移住はクールで意義ある新しい生き方”というイメージが浸透していく。


5.3 「都市―地方移住」現象の定義

本章では、「都市―地方移住」を、都市圏から地方圏への人口移動であり、「Iターン(出身地以外の地方へ移住)」「Uターン(出身地に戻る)」「Jターン(大都市圏から地方中核都市を経由して地方へ)」などのバリエーションを含むものと定義する。

この現象は統計的にはまだマイナーであるが、社会的・文化的には「地方再生の希望」として象徴的価値を大きく持つ。特に20~30代の若者移住、家族移住、都市部女性の地方定住、ワーケーションやリモートワーク等、さまざまなライフスタイルの物語が混在している。


5.4 希望(Verheißung)としての移住

移住ディスコースの第一の軸は「希望」「約束」「新しい価値創造」といったポジティブな物語である。「地方には都市にない“幸せ”や“本当の自分”がある」「コミュニティとのつながり」「スローライフ」「自然との共生」「クリエイティブな仕事」「地域課題への挑戦」など、都市的競争社会では得られない「幸せ」を地方移住に託す語りがあふれる。

メディアや自治体、ライフスタイル誌は、移住者を「地域の新しい担い手」「地方創生のエンジン」「社会課題解決の主役」として称揚し、「移住=自己実現と社会貢献の両立」「自分らしい働き方・生き方」の象徴に据えている。


5.5 移住の準備

「移住希望」を実現するための“準備”もディスコースの重要な要素である。移住イベントや体験ツアー、情報サイト、交流プログラム、補助金申請のノウハウ、地方自治体の移住コーディネーターの存在など、事前準備と情報収集が不可欠であることが繰り返し語られる。

この過程で「移住のリアル」や「現地でのトラブル」「理想と現実のギャップ」も取り上げられるが、それでも全体としては「準備さえすれば移住は成功する」「自己実現できる」という前向きなストーリーが支配的である。


5.6 義務と責任意識

移住ディスコースの第二の軸は、「義務」「責任」「コミットメント」といった規範的側面である。「若者は地方を救う責任がある」「都市で消費される人生より、地方で価値創造する人生が尊い」「移住者は地域の“期待”に応えるべき存在」といった呼びかけが目立つ。

とりわけ、移住した若者自身が「自分は地域のために何ができるか」「期待に応えたい」「地域コミュニティの一員として貢献したい」と語ることが多い。これは一見“前向き”に見えるが、同時に「失敗できない」「役割を果たさねばならない」という新しいプレッシャーや“自己責任化”の強化につながっている。


5.7 批判の余地はあるか?

本章はまた、移住ディスコースに対する批判や懐疑、逸脱的な語りがどこに、どのように生まれるかも考察する。
一部の移住者や現地住民、評論家、学者は、「移住者=救世主」神話への違和感や、「地方のリアルな排除・格差・コミュニティ摩擦」「移住の現実的困難」「理想の押し付け」への懸念を語っている。
また、政策主導や外部目線の移住推進に対し、「実際には都市と地方の格差は根深い」「“地元住民”と“移住者”の分断」「移住者への過剰な期待や疎外」「若者が地方に順応できない場合の孤立」といった課題も浮き彫りになる。


5.8 田園地域での起業的・公共志向的自己実現

最後に、近年特徴的な「田園地域での起業」「公共志向的プロジェクト」「ソーシャルビジネス」などを通じた“新しい自己実現”の物語が整理される。「地域おこし協力隊」や「ローカルベンチャー」「コミュニティデザイン」「NPO活動」など、単なる“生活移住”ではなく“地方を舞台に社会変革を担う起業家”という新しいロールモデルが強調されている。

こうした移住者はメディアや政策の寵児として称揚される一方、現地での孤立や経済的不安定、地元住民との文化的ギャップ、過剰な期待との板挟みに悩む声も少なくない。つまり「希望」と「義務」「理想」と「現実」のダイナミックな往還が、都市―地方移住ディスコースの特徴となっている。


第6章「実際の主観化のあり方:自己実現・自由・公共性志向」

本章は、本書全体の中核部分ともいえる。これまでに論じられてきた「移住ディスコース」「社会的語り」「政策・メディアの枠組み」が、実際に地方に移住した若者たちの「自己語り(主観化)」としてどのように現れるのか――その実態を、インタビュー調査・フィールドワークに基づき多角的に分析する。
主な論点は(1)フィールド(調査対象地域と移住者層)、(2)インタビュー手法、(3)三つの移住グループ、(4)移住動機と目的、(5)移住地選択の理由、(6)地方での生活実感、という6つのパートで展開される。


6.1 フィールド

著者は、2016年前後に日本国内の三つの異なる地方(具体的地名は伏せられているが、島嶼部、農山村、地方都市の典型的ケースが示唆される)において、都市部から移住してきた20~30代の若者へのインタビューを実施した。
このフィールド選定は、単なる地方・都市の二元論に陥らず、「さまざまな地方」「異なる移住スタイル」「現地住民との相互作用」が分析可能なように工夫されている。


6.2 インタビューのプロセス

インタビューは半構造化手法を用い、移住動機・経緯・日常生活・理想と現実のギャップ・自己認識・他者(地元住民、他の移住者、政策関係者)との関係性・未来展望など多岐にわたる質問を設定。
さらに、単なる事実把握ではなく、語り方・語彙・感情表現・エピソードの「ズレ」や「反復」「矛盾」など、主観的な意味づけの構造も重視した分析がなされている。


6.3 三つの場所、三つのグループ?

インタビュー対象の移住者は、移住先地域や動機、経済的状況、コミュニティとの関係性によって大きく異なるが、分析のため便宜的に三つのグループが設定されている。

  • グループA:自己実現・起業型移住者
    都市でのキャリアやスキルを活かし、地方で新しいビジネスや社会活動を立ち上げるタイプ。比較的高学歴・高スキル層が多く、「地方で新しい価値を生み出す」「社会貢献を重視」「起業家的自己実現」への志向が強い。
  • グループB:コミュニティ志向・生活重視型移住者
    「自然豊かな場所で家族や仲間と共に生きたい」「スローライフ志向」「地元との関係づくり」を重視し、移住先コミュニティでの“仲間づくり”や地域活動への参加に価値を見いだす層。
  • グループC:受動的/現実対応型移住者
    都市での経済的・精神的困難や家族事情、偶発的なきっかけ(転職、結婚、家族介護など)によって移住を選択した層。理想よりも現実対応・生活維持が主眼で、地域との距離感や「部外者」意識も強い傾向が見られる。

6.4 移住動機・目標・モチベーション

個々の語りからは、「なぜ都市から地方へ移ったのか?」という問いに対し、さまざまな答えが抽出される。

  • 「都会の競争や消費的生活に違和感を覚え、もっと自分らしい生き方を求めた」
  • 「子どもを自然の中で育てたい」
  • 「コミュニティの役に立ちたい」「地域課題を自分ごととして解決したい」
  • 「地域資源を活用して新しい仕事を創りたい」
  • 「家族の事情や経済的困難からやむなく移住した」など。

ここでは、移住ディスコースで強調される「自己実現」や「社会貢献」への志向と、より現実的な「生活維持」や「消極的動機」とが複雑に絡み合っている。
移住を「自分で選択した」という主体的語りと、「社会的・経済的プレッシャーから選ばざるを得なかった」という受動的・現実対応的語りが併存している点が特徴的である。


6.5 移住地選択の理由

どの地域を、なぜ選ぶのかという問いには、

  • 「自分の価値観やライフスタイルに合うから」
  • 「友人や知人がいた」「移住者ネットワークがあった」
  • 「自治体やNPOの支援が充実していた」
  • 「偶然の出会いや体験がきっかけ」
    など、多様な要素が複合的に作用している。

特に注目すべきは、「移住者同士のネットワーク」や「外部人材受け入れプログラム」の影響が強い場合、地域コミュニティとの関係性に独特の“二重性”が生まれることだ。すなわち、移住者コミュニティ内での結束と、地元住民との距離感や摩擦という「内と外」のダイナミズムである。


6.6 地方での暮らし:理想と現実、葛藤と変化

インタビュー語りの核心は、「地方での生活実感」にある。

  • 「都市と違い、仕事や生活の全てが“顔の見える関係”でつながる安心感」
  • 「自己実現や社会貢献がリアルに体験できる手応え」
  • 「地域の行事や役割分担に忙殺されるプレッシャー」
  • 「“移住者”として常に説明責任や期待を背負う息苦しさ」
  • 「理想と現実のギャップ(経済的困難、閉鎖的な人間関係、排除・孤立のリスク)」
  • 「都市の利便性や多様性へのノスタルジー」
  • 「コミュニティ内で自分の立場が徐々に変化していく感覚」
    など、喜び・誇り・達成感と同時に、孤独・不安・ジレンマ・アイデンティティの揺れが詳細に語られる。

興味深いのは、多くの移住者が「移住したからといって“幸せ”になれるわけではない」「理想の田舎は幻想だった」「それでも、何かを変えたかった/変え続けていきたい」という複雑な実感を持つことである。
地方移住は決して“成功物語”ばかりではなく、むしろ“揺れ動く過程”そのものに意味を見出す語りが多い。


第7章「討論:田舎の幸福について」

本章は全体の総括・討論パートであり、本書を通じて浮かび上がった「地方移住/田舎の幸福」の多層的意味と、その社会的・個人的帰結を理論的・実践的に再整理する。著者はここで、移住ブームや地方創生ディスコースの「裏側」と、当事者のリアリティを照射しながら、「田舎=幸せ」の言説が持つ現代的意義と限界、そして今後の展望について論じている。

章の構成は、(1)田舎=新しい「ふるさと」像、(2)公共志向と幸福、(3)自己語りの両義性、(4)今後の展望、の4部から成る。


7.1 田舎=新しい「ふるさと」像

まず、近年の地方移住ブームが生み出した「新しいふるさと」像を分析する。
従来の“ふるさと”=生まれ故郷や家族の場所から、“選択される田舎” “関係人口” “多拠点生活”へと意味が拡張・変容している。
都市から移住した若者たちが「自分で選ぶ/作り出す」第二のふるさと、“ふるさと2.0”として田舎を再解釈し、新しい居場所やコミュニティを自ら築いていく現象が特徴的である。

著者は、これはグローバル化・都市化が進んだ現代において、“血縁や土地のしがらみに縛られない”「自分らしい帰属感」「関係性の選択」を模索する若者たちの新しい社会的欲望の表れであると評価する。
その一方で、「ふるさと」像の消費的・パフォーマティブな側面や、「田舎は選ばれる/作られる存在」という非対称性、そして地元住民との間に生まれる新旧住民間のアイデンティティギャップも指摘される。


7.2 公共志向と幸福

第2節では、「地方移住=自己実現」と「地方移住=公共性(Gemeinwohl)」の両義性を論じる。
インタビュー調査からも明らかなように、現代の移住者は「自分の幸せ」「理想の暮らし」だけでなく、「地域の役に立つ」「社会的価値を生み出したい」「他者やコミュニティとともに生きる」ことに強いモチベーションを持つ。

これは、ネオリベラル的な自己責任論や個人主義的幸福観へのカウンターとして、“共助”“協働”“社会的貢献”の価値が再評価されている証拠でもある。
ただし、その公共志向や社会貢献意識が「新しい規範」や「義務感」「地域からの期待・プレッシャー」として個人を縛る危うさも同時に浮かび上がる。
“幸福”とは単なる内的充足ではなく、「社会との関係性」「承認」「他者への影響」も不可避的に含まれる多層的な概念となっている。


7.3 自己語り:自己実現と責任化のあわい

本章の中心は、移住者の自己語りの多義性と葛藤である。
“田舎に幸せがある”という表現は、移住者自身の「主体的選択」として語られることが多いが、実際には「選ばされた」「逃げてきた」「他に選択肢がなかった」という複雑な動機が交錯している。
また、理想と現実のギャップ(孤独・経済的困難・地域の排他性・新旧住民間の分断・過剰な社会的期待)もあり、「自己実現」の語りの裏側には“責任化”“自己管理” “幸福義務”といった新しい社会的規範が作用している。

著者は、移住者の語りが「社会的呼びかけ(移住=自己実現&社会貢献)」への内面化だけでなく、現場での逸脱・葛藤・ズレ・抵抗としても現れる点に注目する。
「田舎の幸福」とは、完成された理想の到達点ではなく、「揺れ動き続ける自己認識と実践」「社会と個人、期待と現実のあいだで模索する過程そのもの」にこそ本質がある、と論じる。


7.4 展望

最後に、今後の都市―地方関係や日本社会にとって「田舎の幸福」論が持つ示唆が論じられる。
著者は、“都市と地方の対立・二項対立を越えた多拠点的・流動的な生き方”“選択可能なコミュニティ”“多様な幸福観の承認”が、これからの日本社会に必要だと提言する。

一方で、地方移住ブームや田舎イメージの“消費的・観光的利用”、政策による移住者への過剰な期待や自己責任化、現地コミュニティ内の摩擦や排除、ジェンダー・階層・エスニシティ等に基づく差別や格差にも引き続き注意を払う必要があると警鐘を鳴らす。
田舎での幸福は「社会の鏡」として、私たち一人ひとりの価値観・共同体観・人生観を問い直すきっかけを与えてくれるのである。


全体のまとめ・書評

1. はじめに――本書の射程

本書『In Japan liegt das Glück auf dem Land』は、現代日本における若者の「都市から地方への移住」現象を、社会学・ディスコース分析・主観化理論の視座から多角的に解読した野心的な研究書である。
「田舎に幸せがある」というキャッチーなフレーズの背後に、日本社会が直面する人口減少・地方衰退・都市集中・若者の生きづらさ・価値観の多様化――といった複雑な現実がどのように絡み合い、またどのような「語り(ナラティブ)」として流通し、個人と社会を規定しているのか――本書はそれを徹底的に問うている。


2. 本書の構成と主題

本書は7章構成で、

  • 序論で「地方消滅」論と「地方を救う若者」ナラティブの成立を整理
  • 第2章で戦後日本の「個人化」と標準的ライフコースの変容を歴史的に跡付け
  • 第3章で「田舎=衰退」「田舎=理想郷」という二重の表象がどのように形成・拡散されてきたかを分析
  • 第4章で知識社会学的ディスコース分析と主観化研究という理論・方法論を提示
  • 第5章で政策・メディア・NPO等の移住ディスコースを“希望と義務”の両面から再検討
  • 第6章で実際の移住者インタビューを通じ、「自己実現」「公共性」「現実適応」のリアルな主観的経験を丁寧に描出
  • 第7章で「田舎の幸福」「ふるさと2.0」「自己実現と責任化のあわい」「今後の社会的展望」について理論的・実践的に総括

という流れで、日本における都市―地方移住の現象と語りの全体像を浮かび上がらせている。


3. 主な論点と知的貢献

(1)「田舎の幸福」は“語り”である

本書最大の特徴は、「田舎に幸せがある」というフレーズを、“人口減少の統計”や“移住政策の成否”という枠組みでのみ論じるのではなく、それ自体が“社会的語り”=ナラティブとして、メディア・政策・ライフスタイル誌・現場の当事者の語りの中でどのように構築され、流通し、時に消費されているか――そのダイナミズムを徹底的に分析している点にある。

「地方移住」「Iターン」「ふるさと」「地方創生」は、時に救済の物語、時に消滅への恐怖、時に自己実現や社会貢献のロールモデルとして、多義的かつ矛盾を孕みつつ語られ、現実を規定してきた。
著者は、こうした語りの力学を政策・メディア・個人のレベルで重層的に解読し、「現象」ではなく「語りの構造」として移住を把握する重要性を提示している。

(2)「個人化」・「自己実現」・「責任化」の絡み合い

現代日本社会では、戦後的な標準ライフコース(就職・結婚・家族・定年)の解体が進み、「自己実現」「自分らしい生き方」「新しい家族・コミュニティ」が理想として掲げられる一方、その裏には「選択の強制」「自己責任化」「生きづらさ」「格差」が広がっている。
地方移住もまた、単なる自由な選択や幸福の追求というポジティブな面だけでなく、社会からの「救済期待」や「役割の押し付け」「幸福義務」など新しいプレッシャーとして個人に作用している。

(3)田舎の二重イメージ――衰退と理想郷

本書は、地方・田舎が「衰退」「消滅」と「ノスタルジックな理想郷」の間で引き裂かれ続けている事実を指摘する。
「危機」の語りは移住や政策の原動力になる一方、「理想郷」や「ふるさと」像の過度な消費や幻想化は、現実の困難や排除、格差を覆い隠してしまう危険も伴う。
地方移住現象の本質は、この二重性=「希望と絶望」「理想と現実」のあわいにこそある。

(4)主観化のリアリティ――“揺れ動く幸福”と葛藤

第6章・7章で示されるように、移住者の自己語りには「理想の田舎」「自己実現」「社会貢献」といった語りの内面化と同時に、「現実の葛藤」「期待と責任のプレッシャー」「孤立や摩擦」「選択の迷い」などの“ズレ”や“矛盾”が溢れている。
「田舎の幸福」とは、与えられたゴールでも万能薬でもなく、“選び続け、揺れ続ける”過程そのものにこそ本質があるという認識が、本書を通底するメッセージとなっている。


4. 書評的検討――意義と課題

(1)研究としての強み

本書は、移住現象を「語り」「主観化」「社会的意味づけ」といった中間レベルの枠組みで捉えることで、従来の社会学的地域研究(人口動態・経済構造・政策評価など)には見えにくかった、「価値観・葛藤・アイデンティティ・幸福観の多義性」を丁寧に掬い上げている。

特に、インタビューを通じて移住者自身の声――「自己実現」と「責任化」のあわい、「コミュニティ」と「孤立」、「幸福」と「不安」の往還――を可視化するアプローチは、定量分析や事例集では到達できない厚みとリアリティを持つ。
また、メディア・政策・NPO等が発信するディスコースの変遷や、その社会的機能(理想化・規範化・消費化・抵抗の可能性)への批判的考察も、きわめて現代的かつ理論的意義が高い。

(2)理論的・実践的含意

「田舎に幸せがある」「地方で自分らしく生きる」――こうした言説が社会に与える規範的・実践的インパクトと、その功罪(希望・規範・抑圧・逸脱・分断)を可視化したことは、政策立案者、地域実践者、都市と地方を往還する生活者にとって極めて大きな示唆を持つ。

今後の地方論・移住論・まちづくり論は、単なる「数値目標の達成」や「定住促進のハウツー」ではなく、

  • 誰がどのような語りを作り、流通させているのか
  • どのような幸福観・規範・葛藤がそこにあるのか
  • “移住のリアル”と“語りの力学”をどうすればより多様で寛容にできるのか
    という問いを不可欠とするだろう。

(3)課題と今後の展望

一方で、本書は2014~2018年を中心とする現場調査・ディスコース分析に基づいているため、コロナ禍以降のリモートワーク拡大、関係人口政策、都市部の移住動向の再変化など、最新動向は限定的な扱いに留まる。また、ジェンダー・階層・エスニシティ・障害など、より細分化された差異や排除の問題は今後の課題として残る。

今後の展望としては、「選択される田舎」「多拠点・多層的アイデンティティ」「新旧住民の相互承認と摩擦」「幸福の個別化と社会性」など、地方移住をめぐる新たなダイナミズムをさらに掘り下げていく必要があるだろう。


5. 結論――田舎の幸福は“プロセス”である

本書の結論は明快である。
「田舎に幸せがある」とは、定住や成功、安定した家族像といった静的なゴールではなく、“都市と地方”“個人と社会”“選択と責任”“理想と現実”のあわいを揺れ動き、模索し続ける「プロセス」としての幸福なのだ――。

移住ブームも地方創生も、「田舎の幸福」の単一的なイメージに閉じるのではなく、多様な語りとリアルな経験の中にこそ、現代社会の課題と可能性が潜んでいる。その事実を、本書は社会学・地域論・ナラティブ研究の最前線から、丹念に、かつ批判的に描き出した。
本書は、都市と地方の未来、個人と社会の幸福、そして語りの力学を考えるすべての人にとって、示唆と問いを与える一冊である。

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kiyoshichiya合同会社喜代七 / 喜代七屋 Kiyoshichi LLC / Kiyoshichiya freelance
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We are working to live our LIFE that can be enjoyed for seven generations. Utilizing my know-how and experience, I am working as a professional consultant mainly in Japan and Germany. My hobbies are Mountaineering, Violin, Academic Learning & Fieldwork.
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